悲報
大兄・荻野利栄殿
1月14日帰らぬ人となられ、氷見市にとって大きな光を失った
上杉謙信の生き様を範として、まさに凛とした生涯でありました。
深くご冥福をお祈りいたします
その大兄より平成14年2月、自分史「戀闕」を賜った、
その序文を掲げ、師の人柄を偲ぶ!
「戀闕」表紙
序文 人の記憶には五十年六十年と時が流れても、今も尚はっきりと思い出せれる事が 私その思い出に綴り合せて、自分史を書こうと思い、筆をとったのである。 秒速三十万キロメートルの光が、一年間かてて走る距離は約九兆五十億キロで、 遠い過去のことをつい昨日の事の様に記憶している事も、不可思議である。絶対 |
あとがき 捨てる事の達人は良寛和尚であったと 私はガーンと頭を殴られた思いがして自分史も捨てるべきだったかなと思いつつ 結局のところ為る様にしか為らぬであろう。 利栄 |
慶応同期 塩川氏と会う(昭和58年) 氷見市議会に出て(昭和57年)
拙著「寶」本を差し上げ、返本の「戀闕」のあとがきに、
御手で彫った、「陰見師」の呼称の印影を掲げ、一筆賜った。
市長の新春対談に、お金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上と
話しておられた、まさに故人の凛とした生涯は、多くの人の範となり、心に深い感銘を刻んで逝かれた。
恐れ多い事であるが、縁あって知遇を得、師から深い深いご教導を賜った。
師の恩名は拙著「寶」本にも掲げさせていただいた。
HP掲載を惜別の挨拶に変え今一度ご冥福をお祈りするものです。
平成17年1月16日 合掌・黙祷