新規開店

 

新しいお店が本町のビルに開店した

新しくママとなったその旦那も昔から良く知っている

そのママさんにバブル期、故人となられたT司法書士の紹介された土地を買っていただい

た事がある

その土地の値段が今もって私の心に引っかかっていた

売主は高齢で島尾の介護病院に入院し、余命の費用に当てるために売却をT司法書士に相

談したのである

T司法書士は少しでも高く売ってあげたい

坪単価は●●万と記憶している、司法書士はお隣が分けて欲しいと言っているから私にその

金額でまとめてきて欲しいと言う。その家がママさん宅であった

私はその坪単価では到底交渉に行く気になれないと、辞退を覚悟して値下げを提言した

しぶしぶ10万円は下げたが、それでも私は不満足で、迷ったくらいであった

バブルの余韻がまだあった時期、しかも自宅の横で、坪数も小さいが、それでも私が過去

にお世話した多くの物件の中で唯一、納得出来ない仲介価格であった

私の不動産屋としてのプライドが今もって許さないのである

私は、不動産屋は相撲の行司、野球のアンパイヤと心得ている

ストライクゾーンは、少し位は大きくても、それなりに社会常識と少なくとも10年先を見

通した仲介価格でなければならないと思っている

一方に偏っては駄目と、心に鍵をかけてきたつもりである

勿論完全とは行かないが、それでも目先の利に囚われず、悪い頭で一生懸命考えながら自

分のポリシーを貫いてきたつもりである

自分なりに売り方買い方双方の立場に立って考えて来たつもりである

それが、私を今日まで支えてきたのである

その奥さんがこの度、剣が峰に立って、お店を開く決心をされた

今のところ私がお世話したお店はこの厳しい時代の中でも何とかやっている

それが私の密かな喜びであり、誇りである

皆さん色んな事情があって、その道に飛び込む

そして必死に頑張り、消えかけた笑顔を取り戻す

それが私の何よりの喜びである

飲食店は情報が行き交う場所、お世話したお店は私の隠れた宣伝マン

それで充分なのである

誰しも船出は期待より不安が一杯である

港の湾から出るまでは、できる限りお手伝いしてあげたい

アルバイトの女性もお世話させて戴いた

ママとなった彼女の人柄であろう、お店に花が11も届けられ、店は花一杯になった

私には女性は最早要らない、それでも女性の険しい顔や、悲しい顔は見たくない、女性は

笑顔が一番である

契約のお礼をお祝いに代えて、心に引っかかっていた土地の古傷を清算した

これでスッキリである

人は無責任に何でも言う、世間の風など気にせず強く強く立ち向って欲しい

悲しみの時代である、心遣い、気遣い、思いやりと優しい笑顔があれば人は自然に集まる、

間違いない!!!!!!!!!!!

道は開かれた!!!!!!!!

開店のお店は花・花・花・花で・・・・一杯であった

平成181210

祝いの歌一句

 願い花

 花・花・花よ

叶い花