第18弾・浅野総一郎翁像、建立
本年市長の新春対談の中で、金を残すは下、仕事を残すは中、人を残す(育てる)は上と
先輩からの金言を披露された!
氷見市の万代の活性化は、目先の箱物造りではない、まさに真の活性化は人造りにある!
その意味で、氷見が生んだ日本中に誇れる歴史上の人物、子々孫々に夢と希望を抱かせる
人物として私はまず筆頭に幕末の剣聖・斉藤弥九郎を掲げた!
そして第13弾で、朝日山の一隅に建つ、その弥九郎の銅像を、日の当たる海鮮館周辺へ
移設する案を提案した。
迂闊でした!今一人氷見市が日本中に誇れる人物を後回しにしておりました!
それは、氷見市が生んだ、日本の偉大な実業化、セメント王、浅野総一郎翁です!
江戸嘉永元年、氷見市藪田村生まれ・昭和五年没。
著書「その男、はかりしれず」(著者・新田純子)で、日本の近代を造った男として、その
偉大な生涯が紹介されてある!
著書に氷見の殆どの人が知らない偉大な業績が紹介されてある
★ 日本で初めて「会社組織」を作った男★日本で始めて社内預金を実施した男
★ 海運業進出★日本で初めてスレート製造工場を作る★南武鉄道・青梅鉄道
★日産自動車の発芽★信濃川ダム建設・★浅野小学校・中学校★其の他・
明治の元勲、大隈重信に「浅野氏は実業界の一奇傑である」と言わしめた偉大な実業家で
ある。
現在、浅野翁の記念碑の建っている場所は、殆ど生家前の小公園で、藪田の海岸道路沿い
にある!
そこに是非、等身大の威風堂々とした浅野翁の銅像を弥九郎像に次ぐ、氷見歴史列伝・第
二のシンボルとして是非建てて欲しいものです!
前は、富山湾、そして聳え立つ立山連峰です
大志を胸に、立山の朝日を望み、日本の未来に思いを馳せる
立山(未来)を指差す、威風堂々たる“等身大”の浅野翁像が建立される事を願う!
(廃校となった薮田小学校に胸から上の像があったと村の人から聞いた、それでは、私の
意図する活性化の意味が無い、それは氷見駅、または高速パーキングエリアに移設活用)
それこそが、氷見市の未来を担う子供達の、夢と希望、胸に誇りを植えつける郷土の真の
宝なのです
市長が披露した人造り、まさにそれが真の活性化と考えます!
また、海鮮館の弥九郎像と同じく観光バスがその前を通る度に、近代日本を創造した、そ
の偉大な業績を紹介するであろう!
それは魚や獅子舞、藤の花だけでなく、この偉大な人物を輩出する氷見と言う風土、地名
氷見市を強く印象付けるであろう!
氷見市宣伝の貴重な人的財産なのである
浅野翁に深く敬意を表するものです
平成17年4月10日
付記
尚この案を提案するに、私として市民や地元住民、其の他から色々な疑問が投げかけられ
折角の妙案もデッドロックに乗り上げそうな予感がしますので、事前に予防線を張ってお
きたいと思います
例えば
★浅野翁は若き頃地元で倒産し東京に逃げた人!
★そのため、地元に迷惑をかけていった人!
★成功してからも、地元に殆ど貢献も寄付もしていない!
★ 個人の実業家を市財政で銅像を建てるのは、おかしい!
地元・親族・尊敬する有志一同の基金で建てるのが筋!
★今では親族も地元に殆どおらず、縁も殆ど薄くなったのに何で!
★其の他・どのような反対意見がでるか、分からない!
私は、常々氷見人を以下に捉えている!
人間は環境の動物である!気候風土生活環境に大きな影響を受けて育つ!
氷見市は、農業、漁業、商業、サラリーマンの4部門から構成され、片面は全て海で、山
は複雑な地形でありながら標高が低く、川も何本もあるが、大河では無い!そして歴史も
古いが中味が薄い、そのため氷見人は複雑な社会環境、複雑な風土の中で微妙かつ複雑な
内面を形成している!そのため氷見人のその複雑な内面は、意見の集約となると、時とし
て長所であり短所としてのマイナス面として現れる!
また氷見人は基本的に農耕型の市民性である!
狩猟型の漁業も遠洋漁業などでなく、沿岸定置網が殆どである!
農耕型は平均的、民主型を求める
これらの気質が突出した人物へのジェラシィーに及ぶと厄介である!
即ち、農耕型協調漁業なのである
要するに私も含め池の中の雑多な小魚達なのである!
偉大な大魚は、そこでは死ぬのである
しかし卑下する事は無い、小魚は大海に出て大魚に育つ可能性を持っている小魚なのであ
る!
小異を捨て大同に立つ、一応断りますが私は浅野翁の親戚ではありません!
以上つまらない事を付け加えましたが、是非とも実現したいものです!