祖父・光則
祖父は氷見中学を卒業し、若きころ一時期、当地中波小学校の代用教員を務め、後
当地、仏生寺村の役場の書記官を定年まで勤めた。
同じ家の中であるが私は物心ついてから、寝起きは祖父と一緒であった。
私の曽祖父三郎の次男で、今思い返すと当時としてなかなか 教育熱心な祖父であった
外出するときは何時も、帽子をかぶっていた
帽子は後ろに落としても前に落とすものでは無いと、私に言ったのを記憶している。
貧乏をしたが、農協組合長の次男として育った、自尊心の高い祖父であった
町やのボロ家であったが、祖父が座る背の床の間には、刀掛に大小の真剣が飾られてあっ
た。
無学で商売が大好きな母親の血を色濃く受け、勉強とは無縁に近い私に、何とか勉強へ向
かわせようとしていた事が今になって、ほのぼのと思い返される。
ボンボン時計のネジ回し、夏の蚊帳吊りと整理が私に課せられていた。
全く勉強に向かない私に、祖父は碁石で五目並を根気良く教えてくれた。
小学校6年頃には、祖父に負けない腕になっていた。
40代で妻を亡くしたが、愛妻家で再婚はしなかった。
享年は確か74歳で、私が高校2年で、静かな大往生であった