承禎、花の高校時代
私の青春と言えば文句なく高校時代である
高校は氷見駅から3ツ目の駅、越中国分駅にあり汽車通学であった
学校の名は伏木高校で商業科であった
3年間、勉強は全くしなかった
しなかったと言うより勉強とはそもそも何なのか、何のためにするのか分からなかったと
言う方が当たっている(笑い)
勉強をする意義、生存競争を生き抜く手段、最低限の常識そんな事すら分からなかった
中学時代勉強する同級生が、別人種と思っていた
勉強の何が面白いのか????全く理解が出来なかった!!!!!!
今になって振返って考えるに、物心ついてから祖父も両親も私に一度も勉強しろと言った
事が無かった
不思議である
私の性格を見て取り到底無理と判断していたのかも知れない
兎に角一度も無かった
でも教えて貰わなかったことが、私の人生を“痛快”にした
“痛快”には「痛」い、の文字がある!!!!痛すぎた!!!!!
やはりこの時期の勉強が大切であったのか??????!!!!!
しかし兎に角高校生時代は面白かった
中学時代は成績が比較される
成績の悪い者はどうしても卑屈になる
運動神経もたいした事はない、おまけに背が低い、顔は全く気にしなかったが、他人に男
前だろうと言えるツラでない事は確かである!!!!
当然女にモテナイ
しかし高校には受験で篩(フルイ)いにかけられた、自分と成績が大差ない連中が集まっ
てきた
近似値、気の合う仲間を高校入試で集めてくれた、
ありがたかった、俺にもチャンスが巡ってきた
集まったのはつまらない秀才でない、異能・異彩・変人、奇人、異端・変態・サド・マゾ・
ホモ・爬虫類、兎に角バラエティーに富んでいる連中である
俺はそんな才能なら負けない、コンプレックスなど吹き飛んだ
水を得た魚である、一変に元気がでた
そうなると身長の低さも顔の事も吹き飛んでしまった
兎に角、勉強と縁のなさそうな、多彩な顔の男たちが集まってきている
そして文句無く私の大好きな女の子と共学、
(美人はごく少量・笑い)
学校を休むなんて考えは全然無かった
一年の冬、38(サン・パチ)の豪雪にも浜辺づたいに歩いて学校へ行った
今も語り草、記録的豪雪であった
クラスの連中の顔を見ると、勉強をしなくても順位は真ん中程度には絶えず位置づけられ
ると感じた
間違っても成績的には落第は無いと見切った
思いっきり、のびのび遊べる学校と確信した
自分が生き生きしてくると次第に女にもモテルようになってきた
自信が出てきた!
元々、天真爛漫、ノー天気、明るさだけが取り柄、遊びなら硬軟両刀使い
智謀、知恵の塊、
2年の後半には学校の隠れ秀吉であった
どうして伏木高校を選んだか?
私の兄もその学校の卒業生
汽車通もしてみたかった
本当は中学の成績が悪く、それ以上の学校を選択できなかっただけの話(笑い)
3年間で、タバコの喫煙発覚で、学校謹慎1回、不純異性行為で家庭謹慎1回、
喧嘩で停学1回
それでも3年生の時、生徒会長候補の○○君に頼まれ生徒会書記長となる、
見事会長に選出された○君は私を書記に据え、3年生の悪たれ連中を抑える事に成功!
振返って思うに私は元々商売人の子、悪ガキのグループ間の調整は抜群、バランス感覚が
同級生より確実に上であった事は確かである
クラブは弁論同好会で3年生の時会長に就任
1年生の時、怖い3年生の知り合いの先輩が私の処に来て、何んでもいいから必ずクラブ
に入れと脅されたのが原因で入会、
当然入会の動機は同好会に可愛い女の子が沢山いた事
同好会で正式のクラブでないから、気楽なこと
中学時代器械体操で膝を痛めておりスポーツクラブは頭から除外していたこと
(膝の古傷は何十年経った今も引きずっている)
主たる動機はこの3ツの理由からである
題目は忘れたが、一応3年生の時、会長の責任上、全校生徒の前で一席ブツ
同年の生徒数は入学時、約210名で入学時50番〜70番位だったと記憶している
2年の時大量(20人近く)の退学者が出て190人台になった、
最悪は3年生の2学期確か中間試験の時?!一番下から7番目
答案用紙に次回頑張ると書いて、全科目白紙で出した
結果
担任の○○先生に、先生●●君より上だろうと問うたら●●君より下と言う
●●君は教室で万年一番最下位、学年で絶えず下から10番以内の男であった
さしもの私も参った
この時は私も少し不安を覚え、友達に教科書を借りたのを覚えている
珠算は4級取ったと思っているが、記憶は確かではない
簿記は今でも分からない
2年生の夏休み、友達で番長の家に泊まっていて40日間一日も家へ帰らなかった
幾つもの高校の悪ガキ20人程が、番長の家で入れ替わり立ち代り出入りし、泊まっていた
他の私立の女の子も入れ替わり立ち代り遊びに来ていて、一緒の蚊帳の中
それが、不純異性行為という事で家庭謹慎
しかし本当の初体験は中学以来の他校の友達と卒業記念旅行をした、
旅行先の名古屋で夜の女を買ったのである
タバコを吸ったのが1年の終わり頃
マージャンを覚えたのもタバコと同時期
酒を時々飲み始めたのは、2年生の頃である
高校3年の5月1日は高岡の御車山の祭り、その日同級生の肉屋の二階で、15人位でス
キヤキを喰った、牛肉をあんなに喰ったのは一生で一度きり、猛烈に食った
当時は牛肉など殆ど喰えなかった!!大抵豚の並であった!!!!
息子のため、何十万円の牛肉を食わさして戴いた
そして二階でドンチャカ騒ぎ
私は酒1升、ビール10本位、ダルマのウイスキー最後ラッパ飲み、
酔っ払って腰が立たず、友達の顔が何重にも見えた
完全グロッキー
喰った牛肉全部吐き出す!!!!!!!今もって惜しい(笑い)
高岡の中劇で初めてストリップを見に行ったのが高校2年の夏
下駄履きにカンカン帽、社会人のズボンにチヂミのシャツ、大人に扮装して入り口パス
内心補導員に捕まるかヒヤヒヤもの!!!!!!
3年生の2学期になると教科書が紛失して無かった
2年生になると学校の様子が分かり、退学ならないよう年間75時間前後、勘定して割り振
り欠課する
要するに嫌いな授業をサボるのである
落第にならないギリギリラインを勘定!!!!!こんな算段なら天才的であった、
偽りの病欠と合わせ欠課数は学校で、間違いなく一番であったろう
遅刻の一番が本田君、休みの一番が宮○君、欠課の一番が私であった
宮○君は日数不足で退学
今から考えると大学へ行く気はなかったのであるから、落第してモウ一年高校にいれば良
かった(笑い)
冒険の話しがある、3年生の時の5月頃、中学時代の友達3人と福井の東尋坊へ自転車で
行く
夜中の2時出発、往復約300キロ、夜の11時帰着、約21時間ペタル・コギッパナシ
京都までの距離が約300キロ、1日で走破、凄い!
昭和39年当時、まだ石動山のトンネルは無く山越え、8号線に車も本当に少なかった
福井の交差点でダウンした2人を引っ張り、福井松島に到着した、
証拠の写真は今でもある
彼等に負けなかった経験は後の人生に大きな自信を植え付けた
その後2人は計画を立て自転車で西日本一周した
私は自転車の旅より、やはり学校の方が楽しかった
高校時代軟派でもないし硬派でもない、どちらも使い分け3年間を遊泳した
3年生の時の教室は私の天下であった
みんな私の決めたことに全く反対無しであった
教室の席順も私の独断で何回か決めた
運動会の赤組の団長も私の独断で○○君に決定
○○君は目立たないモヤシのような男であった
でも私の大抜擢に凄く喜んでいた
赤組の大団旗が風に揺らされ押され○○君の行進がヨタヨタであつた
それを行進にも参加もせず、友達3人で屋上から声援していた
センコウとの思い出
★野球部の顧問のセンコウが我々弁論同好会を女と遊ぶクラブと1年生の部員から聞き、
激怒してその先生の頭をバットで本気に叩き割ってやろうと練習中の選手のバットを奪い
血相を変え逃げるセンコウを追い駆けた(後日向こうに非があり一切不問)
★サッカー部の顧問の先生が、剣道の授業の担当となった
常々私を快く思っていなかったのであろう
私に皆の前で試合をしようと言ってきた
センコウの魂胆は分かっていたが、受けて立たない訳にはゆかない
体育館中央で皆注視の中での試合、果し合いとなつた
センコウは確か日体大卒、サッカー選手であったが、剣道の心得もある
剣道対チャンバラである!
審判がいない、だから終わりが無い
死闘は体育館からグランドまで繰り広げられた
授業の生徒全員体育館の入り口で固唾をのんでの観戦である
小手、面、一方的にやられた!
しかし後ろずさりに、逃げながら私の一撃の突きが咽元に入った
一瞬ヤバイと感じた瞬間があったが、何せ私の方は無茶苦茶のチャンバラ、時間切れで打
ち切り
振り返って見ると、先生から見たら煮ても焼いても喰えない知能犯であったろう
しかしこのセンコウ私を一度サッカー部に入らないかと誘って事があった
母校のサッカー部今でも割りと強い!!!!!!!
足が速く、膝が悪くなければ!!!!!!
★ 2年生の時、確かクラスで3人程退学処分
そして私も含めクラスの男の半分、15名程が無期停学・停学・謹慎処分を受けた
担任の●●先生は生徒指導部の係りであった
そんなある日私はホームルームの司会を買ってでた
そして担任の責任を、徹底糾弾!!!!
クラスメートの質問と私の鋭い追及に、ヤメテーと泣き出す女生徒まで出た
自分も処分を受けた身でありながら、責任転換・本末転倒(笑い)
持ち時間50分、うなだれる担任、休憩時間のベルがセンコーを救った
★ 3年の担任に子供が生まれた、学校中のトイレットペーパーをかき集め、入場の先生に
おめでとうの、ロールテープーが容赦なく投げつけられる。
担任は教壇に隠れる
暖かくも手荒い祝福であった
これも私のクラス仲間への指令であつた
そうそう、朝飯食ってない日、一時間目の授業を欠課し、柔道部の部室に入り、部員の弁
当を時々食べていた
見つかったら絞め殺されていただろう
まあ、兎に角楽しい高校生活であった
一応首尾よく卒業
団長曽根・居眠り常習者の金子、マージャンのハッサン・ヤクザになったタンコ・よくプ
ロレスしたマーちゃん・修一、空手の師範になった河原・クビになった宮、喧嘩したウキ
と藤井・根性の弘・社会科博士の磯辺・皆面白い連中ばかりであった
ハッサンから年賀状去年まで来ていた
しかし私は全ての過去とオサラバ!!!!!スマン!!!!
卒業間近●●さんから、文面が涙で滲んだ、熱い慕いのいろはを戴いた
控えめで素直な女性であった
風の便りに、平凡に幸せとの事・・・・平凡が一番
若かったのである、完全に見る目が無かった、人生の大失敗であった
漫談家・綾小路きみまろ「プロポーズあの日に戻って断りたい」
耳に響く〜商業科・珠算の合図「誤(御)和算で、願い上げましては〜」!!!!!!!
人生ブラック・ジョーク??????!!!!!
以上この年をして、こんな恥を残してどうするの・・・・・・
これも視聴率アップ!!!!商売優先!!!
マァいいか!俺は今も青春真っ只中!!!!!
自然児、承禎!!!!
この不況、相当暇なのか?????