米の飯

 

糖尿病の私である

その私が、ご飯が美味しくて困っている

炊き立てのご飯であれば、漬物か梅干だけでも美味しいのである

湯気の立ち上るお椀のご飯を、一口、口に運ぶ時日本人に生まれて本当に良かったと思う

至福の一瞬である

幼稚園の頃である、カマドにマキをくべご飯焚きをさせられたのを覚えている

火吹き竹でフゥウフゥウと火をおこす

今でも覚えているお米炊きの言葉は、“初めチョロチョロ、中パッパ”である

電子ジャーの時代である、今では完全に死語である

釜の蓋は分厚い黒の木の蓋で、丸い下駄の反対の形であった

シュシュシュと湯気が蓋を持ち上げそうになる

ご飯が炊ける実感があった

途中蓋など開けたのか、ご飯がメッコになった時もある

メッコも最早死語である

焦げたご飯で、母親が塩を手の平にしてお結びを作ってくれた

半コゲのご飯の香りが、また美味しかった

冷蔵庫が無い時代である

米が臭くなっても、母親は残りご飯を水で洗って絶対に捨てなかった

流しに米粒を流す事は絶対にしてはならない時代であった

母親の母親、そして姑も厳しかったのであろう

時代はそれが普通であつた!

モッタイナイの精神、それが私らの時代の人間にはある

子供の頃麦飯を喰った

余り美味しくなかった

五穀の中でやはりお米が一番である

粟餅とヒエ、そしてコーリャン(ソ連船)は食ったことがある

米の文字は八十八と書く、八十八歳を米寿と言う

昔から日本を「水穂の国」とも言う

朝食はご飯に味噌汁に漬物、絶対に和食である

平成19517