試験と不動産会社勤務

 

9月か10月かは定かで無い

試験内容は確か中国の四文字熟語などの意味や中国に関する常識問題で勉強は全くしなか

ったがこの程度ならと自信を持っていたが結果は次点、補欠であった

即ち合格した人がキャンセルした場合の学校経営側の予備であった

私はこの後話す、ちり紙交換と易者をしながら既に鍼灸師への情熱を失っていたのである

送金しながら到底2年間東京で一人暮らしは無理と悟ったのである

易の自己占い

千里ブロックも土、不動産も土に関係がある!!!!!!!

当時ひばりが丘の駅に建売住宅に不動産会社の旗が林立していた

実は避けていたが私は宅地建物取引主任者の免許を10年前程に既に取っていたのである

その経緯はこのあと大兄辰の所で話そう

私はピンと来た

勘である

不動産屋の道へ進もう

そう思ったら直ぐ走り出した

不動産の会社にも色々なタイプの会社がある

大手の会社のシステムを勉強しよう

会社の名前と場所は忘れたが最初、履歴書を持って行くと、東京の地理を知らないと無理

と断られた

言葉で田舎者と完全に悟られた

納得

さすが不動産屋の窓口である

鍼灸試験の前後頃であろう、ちり紙交換と易者をしながら、不動産会社に勤める。

東京滞在中、内容の異なる4つの不動産会社に席を置いた

@★不動産担保ローン会社

法務局へ行って抵当権の付いている個人・法人の住所氏名を片っ端から書き写す

渡された用紙に一日500件の債務者を書き入れるのである

それを1週間させられた後、今度は50人程が一室で朝から晩までマニュアルに従って電話

攻勢するのである

凄いシステムであった

殆どの者が1週間程で辞めていった

私はこの会社は15日間程で辞めた

A★千葉の大規模造成地の販売、但し一度も団地は見ていない

  場所は覚えていないが、団地の一軒一軒をジュウタン訪問である

B★新橋の○陽建設?!と言う会社の不動産部

C★名前は忘れたが本社は確か三鷹?で新宿霞ヶ関の高層ビルに展示場がある大手不動産

会社

その会社には営業マンが200人以上いただろう

勤めるその営業マンに石を投げたら元社長に当たると言われほどである

年配の営業マンに聞くと、自分は従業員を500人程使っていたと言う

みんな人生の起死回生を狙って飛び込んできているのである

・・・・・・・・・・・・・・・

以上異なるタイプの会社4社であった

私に迷いは無かった

これから不動産の時代が来る!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

家族がいる。私に東京で不動産屋をする気は無い

滞在中は実践勉強のみである

勤めた順序は忘れたが4社全て1ケ月程で辞める

給料もらってサヨナラ・ドロンである

最早目的が明確なのである

その間のつなぎに@★建築会社のビル工事現場の仕事A★人材派遣会社の道路工事現場の

夜間警備

★勘定すると東京での約7ケ月、不動産会社4社・ちり紙交換・上記@Aそれに易者・築

地市場、計9つの仕事を体験した

一生忘れられない恋の華も咲いた、また女が私のアパートで一緒に生活しようと言い寄っ

た女性もいた。

大衆酒場「つぼ八?」の思い出!!!!!!!!!

また山手線ガード下の自販機酒場の思い出も懐かしい・・・・・・

またシェルターの日下部氏も私を心配して戴いた

今考えると夢のような7ケ月であった

いずれまた話す日も来るであろう

平成1919