千里ブロックの終焉

 

不動産の免許登録が3年更新で現在私は6であるから18プラス2で約20年前である

サラリーマン8年、呉服が5年、1年重複しているから、結局千里ブロックは約10年

である

正確に年表を参照していないが「日本列島改造」を掲げた田中角栄もロッキード事件で失

脚し、日本中を走り回ったダンプカーも一挙に少なくなった

長男が高校、長女が中学、大学の費用は確保してあるが、先が見えない、

サラリーマンは最早無理である

進む道は本格的土木業の世界しか見当たらない

しかし元々性格的に技術屋ではない

しかも本格的土建業を目指すとすれば、重機、トラック、そして人を雇とは無くてはなら

ない

また土建屋はABCDランク付けされており、そこから這い上がって行くには相当の時間

と資金、政治力その他が必要であった

私は元々一匹狼、人に頭を下げるのが嫌いな性格である

しかも協調性に駆ける

青年団も、青年会議所・商工会議所・ゴルフ・趣味の会も、一切参加した事が無い

参加する程余裕も無かった。また時間も惜しかった

千里ブロックで氷見を制覇したと言っても、殆どが個人の仕事である

土木の主力は公共事業である

性格的に役人とはソリが合わない

おまけに氷見市建設業協会すら加入していない

自信が無かった・・・・・

千里ブロックは全てアルバイトの人達でやっていた

重機は全てリースであった

やるとすれば最低限の重機・ダンプその他を揃えなければならない

オペレーターを雇うだけの器量に欠けていた

私は人一倍臆病なのである

家族を守るため失敗は許されないからである

二人の子供が大学を当然の如く考えている

その頃ブロックの営業で知り合った金さんと言う高岡の60才前後の女性がいた

その金さんはなかなか霊感が強く、私に整体マッサージ、鍼灸などで儲けている人がいる

その道に進んだらどうですか?!とアドバイスして戴いた

私はそれまで中国の本を機会ある毎に読んでいた

漢方、鍼灸に興味があった

それには東京にある鍼灸の学校へ2年間行かねばならない

上の長男は高校3年、下の長女が中学3年、果たして学校へ行きながら仕送りできるか・・・?!

大きな不安があった

・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでも前へ進まねばならない

ここ2・3年で氷見市の土建屋の倒産廃業が続出した

自殺者も何人も出た・・・・・・・・・・・・・

地方交付税の削減、公共事業の激減

その時の選択が間違いなかったのである

!!!!!!!!!!!!!!

運命の不思議を思わずにはおれない

                                      平成1918