親馬鹿
ここまで仕事の事だけを書いてきた
男である私が自らの決断で離婚を選んだのである
夫婦は別れれば他人であるが、子との血は切っても切っても切れないのである
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自己を虚飾する気は爪の垢も無い
出来れば語りたくない話である、
しかし歴史に名を残す平成承禎である
淡々と事実だけを記しておこう
私は基本的に男は仕事、とりわけ男の子には親の生き様、背中で教えると思っていた
それでも親ばかである私は男の子には時間を見つけてはプールに行き水泳を教えた。
甲斐あって中学2年生の時、
また校内将棋大会で2位であった
毎日の詰め将棋をさせての結果であった
また少年野球のキャッチャーであった
よく試合について行った
そしてアメリカのホームステイに行かせた
家業の土方の手伝いもさせた
二人を学校の体育館に連れて行って親子の触れ合いもした
また私は高校しか出ていない、二人の子供には大学を行かせたい
また女の子の嫁入り道具は人並みにしてやりたい
この二つの願いは一応果たした
これでも普通の親と変わりない親馬鹿であった
父親としての役割は、一応果たしたつもりでいる
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平成19年1月5日