「唐代伝奇」内田泉之助
幹一夫
唐代は「寶」の時代
「寶」本の参考文献に載せなかったが、執筆時、間違いなく舐めた著書である
書中の「杜子春伝」子供の頃に読んで、おなじみである
「長恨傳」と「周秦行紀」は玄宗皇帝と楊貴妃に関するものである
「三郎」とは玄宗皇帝の小名で宮中の人々は三郎と呼ぶことが多かったと言う
これは、確認の意味で大きかった
楊貴妃の腹の中は実は傲慢であった
そして唐朝を傾け、戦乱を招いた
私のかっての○は鬼畜、腹の中は傲慢この上なかった
そして私の全てを崩壊一歩手前にして遁走した
私の名前は「健三」(けんそう)の「け」に濁点を付ければ「げんそう」となる
「三」は玄宗と私の共通文字である
玄宗は楊貴妃に対し盲目的であった
密かに輪廻転生はあると思っている
私はペンネームを、平成承禎と名のっているが、実は「玄三」を名乗ることも考えた
だから末尾の印鑑も作ってあったのである
楊貴妃に関する歴史家の人物評価を何冊か舐めたが、的を得た本には出会っていない
学者は女を知らない
それ以上は語らない
それまで
平成20年5月30日