暴風雨(その3)
消防署の後始末と葬儀は終えた
そしてとりあえずの住まいは高岡で確保した
長男に学校を辞めさせ砺波の妹の店で働く事にさせた
娘は転校させた
悲しんでいる時間は無いのである
火事の後始末に県の住宅公社に15回程足を運んだ
この「熱風録」の16「読書」で私は色々な雑学の本を読んだと話した
私は相続、手形・小切手法、不動産、印鑑、契約書、遺産、銀行、詐欺の手口、その他を
相当読んでいた
私は姉達に相続放棄の手続きをさせた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・読書の雑学知識が役に立ったのである
息つくまもなく、融資していた某銀行が親の家へ来た
銀行は道義的責任を追及してきた
両親を押しのけて私が応対
私は兄弟の私がお金を貸していない、貴方達はプロ「あの世へ回収に行って来て下さい」
ピシャリと断った
さらに今度は事件屋が数枚の手形を持って私の事務所を訪れた
そして私の心臓を鋭い言葉でチクリチクリと刺す
プロである
・ ・・・・・・・・・・・・・
私は決断した
姉を兄のいる金沢へ今一度転居させようと!!!!!!!!
金沢でアパートを探す。姪の転校手続きと受け入れ先の手続き
姉が倒れた
救急車で運び込まれる
胆のうか、すい臓の摘出手術
そして事件屋が私を拉致、アパートの一室に引きずり込む
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海に沈めて欲しい????!!!!!!!!!・・・・・と私を脅した
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私は最早千里ブロック、パテント販売、薬の現金問屋の件、その他で鍛えられていた
腹が据わっていた
事件屋の腹の中を読んでいた
事件屋自身の直接の損害では無い
それで刑務所に入る度胸は無いと読んでいた
やがてどちらも諦めて来なくなった
全てが何とか収まるまで半年間、仕事は一切できなかった
嵐のような半年間であった
平成18年12月31日