第一次 パテント販売
サラリーマンに別れを告げる動機、ブロックの夢
家業の呉服をしていても、心に温めていた夢
その最小限のスタンバイは出来た
いよいよ手始めに
当時、氷見には山彦コンクリート、県下には岩瀬の四葉コンクリート、岩崎コンクリート、神通コンクリート、
日本間知ブロック、大同コンクリート、林コンクリートその他大小の二次製品会社などがあった
振り返って全ては笑い話である。
30年近い歳月が経って思う事がある
バカは死んでも直らない(笑い)
心の若さは最高の財産・・・・・・・・
よくよく考えると当時は日本列島改造論で、日本中が爆発前夜であった
自動車重量税が成立し高速交通網が全国を繋ぐ!!!!!!!!
そして日本中、山を削り、埋め立て造成、そして道路が走る
まさに大型公共事業が目白押しであった
ブロック業界は個人向け土留め製品など製造しなくても、既存の製品を造るだけで目の回る
忙しさであった
まだ自分には、大きな視野で時代と業界を見る力が無かった
私は
新潟県のコンクリート二次製品会社の恐らく80%を約1年かけて片っ端から当たった
しまいには車に毛布を積み込み、電話帳の職業欄を頼りにアタックしたが、ものの見事に
頓挫・・・・・・・・・・・・
それでも営業しながら、業界のことは勿論、後の人生を生きる為の多くの事を学んだ
そこで普通の人間なら諦めるであろう
完全な挫折である
しかし私の闘志は怯むどころか益々燃え上がっていた
一年近く車で回って、体で感じた(頭では無い)事は、日本は間違いなく変わる!・・・であった
まさに高度成長に突入したのである
日本中のダンプが土を満載し走り出したのである
完全に行き詰まった私は、自分の状況を考え、そして思った
自分で自分の商品を一箇所も施工した事が無い
話に真実が伴わないと・・・・・エライ!!!!!!!!!
ヨシ・・・・・まず自分で工事してそれからである・・・・と
・・・・・・・・・・・・・・
それから挑戦しても遅くは無い、かならず再挑戦する。
このまま終わる訳には行かない
絶対に
家族を食わせてゆかねばならない
・ ・・・・・・・・・
悲壮さは無かった
最悪家業の呉服店がある
最低限の保険は一応かけてある
・・・・・・・・
しかし不退転の気持ちであった
この間の車で走破した色々な出来事を書くだけで、原稿が2・30頁必要であろう
それらの事も追っ付け書くであろう■
今は兎に角、私的事情もあって先へ急ぐのである
平成18年12月14日
このパテント販売に富山・石川・福井・滋賀・京都・奈良・岐阜・新潟の8 県を回った時の
トンでもないエピソードをパテント余談編として時間が許せば話そう