千里ブロックの助走期間

                    序曲

現場事務のサラリーマン約8年、そして呉服業5,年。

しかも私は商業科卒

ブロックの知識はおろか、後の現場でのブロック施工など当時は考えもしていなかった状

態であった

今から振り返れば無謀としか言い様が無い

新しい組み立て式の千里ブロックのパテントを全国のブロック会社に売り込み億万長者に

なろう

完全に我田引水どころかノー天気の空想であった

しかし若いと言う事は、不安より夢が完全に先行する

呆れるほどの上昇志向!!!!!!いや楽天思考!!!!!!!!!!!!であった

俺ならやれる!!!!!!!!!!!!間違いない

・・・・・・・・・・・・・・・・・と

話を戻す、サラリーマンと呉服が1年間重なっている年があるから181230才、千里

ブロックも呉服と1年程重複しているから、29才頃である

これらの私のおおまかな年譜はHPに載せた■プロフールをご覧願いたい。また組み立て

■千里ブロックを一応クリックして戴ければ今後の話がよりお分かり戴けると思います

また話の途中に記すこの角マークは時間が許せば■補足の原稿を入れてゆく箇所です

その事をご理解のうえ読み進んでいただければ有り難いです

 

さて呉服店の方を母と妻に出来るだけ任せて同時進行、いよいよ私は動き出した。

それまで義父から知識を得ていた

当初義父は自分の苗字を取って山口式組み立てブロックの商品名で売っていた

宣伝チラシもA4一枚の一色刷りのもので、誰がみても素人の広告であった

私は売るという事に関して、自称天才に近いと思っている

後に氷見市の民間土留めは、千里ブロックで約60%制覇

現在、不動産賃貸で70%以上制覇

2度の氷見制覇である(ホント)

麒麟ビールとアサヒビールとシェア40%の攻防である

どんな業界でも50%を越えたらトップ企業である

1度であれば、フロックであるが私は2度制覇である

田舎の出来事、成果は小さい、しかし競合相手がいてこのパーセンテージ

恐らく全国でも少なかろう

これは実力である(オホン)

ある人が言う、独占禁止法違反であると(ホント)

話しを戻す、ブロックの製造場所は羽咋市で、羽咋には有名な千里浜がある

私はその千里浜の名に因んで商標名を千里ブロックする事を提案した

簡易土留めブロックを千里も万里も構築するという思いを込めた名称である

パテント販売のローヤルティー契約を全国展開するには、法的権利関係を確かなものにし

なくてはならない

     そこで、義父は勿論同じ部落に住む、次男にも意思の確認をしてから、意匠登録を私の

名で特許庁に出願する事とした

次男は体育の教師をしていた

失礼だが事業に乗り出す、度胸も器量も無い

次男に学生時代からの友人で地元では大手の干●建設株式会社の社長がいた。

その社長とは高校時代の相撲部員の間柄で、次男はその社長にこのブロックの共同事業を

持ちかけていた

私はH社長と会って義父との共同経営の意向を確かめた

H社長(当時は専務?!だが実質上の社長)は色々検討したが商業ベースに乗る商品では無い、

共同経営も事業展開もしないとの明確な返事であった

H社長の冷静なこのブロックの将来性や市場分析でも私の意志は全く変わらなかった

結局義父の周囲に誰も乗り出す者がいない事を確認して私は誰はばかる事無く安心して乗

り出す事とした

パテント販売契約の全国展開には次なる要件が最低限必要である

@■法的確立(特許庁に出願)

A★ローヤルテー契約の為の契約書の作成

B■本格的パンフレットの作成

C■官公庁に納めるには土木力学からの土圧構造計算書の添付必需

勿論出願費用、新たなパンフレット製作、構造計算書の作成、それらは義父の考案に対す

る儀礼として当然全て自費である

@は終えた

Aは法律である

BのパンフレットにはC構造計算書も掲載しなくては公共事業の設計には欠かせないし、

パテント契約にも不可欠である

全てが私の知識に無い世界である

★まずAのロイヤルテー契約書は市職員で法科を専攻してきた一級後輩の清水君に無料で

お願いした。彼は快く引き受けてくれた

法科を卒業してきたとは言え彼も初めての事、何回も打ち合わせして作成した

★Cの構造計算はチンブン・カンプンの世界である

必死の思いと言うのは不思議なものである

県庁勤務のある女性から大谷短大勤務で滝本先生と言う構造力学の先生が高岡にお住まい

と教えて戴いた

まさに猛進、突然夜分に訪問し、必死に事情を説明した

滝本先生も快く引き受けて戴いた

構造計算の公式はクーロンの法則、ランキンの法則名前だけは今でも覚えている

以上この二つが出来上がれば後はパンフレットだけである

パンフレットの宣伝文句は知識ゼロの私であるが、ペテン師の私の最も得意分野である

その頃56ケ所程度の現場を、角度を変えて写真を撮り、多くの現場があるように見せか

け用を足した

まさに知らないことは武器、メクラ蛇に怖じず、猪突猛進、ただ前進あるのみであった

遂にパンフレット完成、●今も人生の記念碑として大切に保存してある

全国制覇を目指すぞ!!!!!!!!!!!!意気軒昂であった(まさにノー天気)

     ・・・・・・・・・

平成181213