風雲・千里ブロック編
このホームページ「熱風録」は自分史でもある
自分の生きてきた事実を語り、若い人に何か1つでも感じる所があれば、嬉しい
さして誇れるものもないが、頭の悪い、何の能力のも無い者が、只がむしゃらに生きた。
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脱線し、突き当たり、それでも前へ進む、多くの人に助けられ、支えられそして生きた
そんな私の人生を書き残す気になった
ここまで、呉服業、椎茸販売、ゴミ収集への入札などを話した
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さて私の「寶」にたどり着く多くの要素は30代に集中していたと言っても過言では無い
サラリーマン7年半、そして生家の衣服店約5年間、椎茸販売、ゴミの参入の失敗、それ
らの貴重な失敗を経て、いよいよ、未経験の世界、千里ブロックの時代に乗り出す
サラリーマンは港の検数と言う現場事務の仕事であった
立ちっぱなしの仕事で、もともと腰の弱い体形で、重度のへルニアに悩まされていた
このままでは、定年まで絶対に勤まらない
中途半端な年齢に達し、腰が更に悪化した場合や、リストラ、転勤になったら家族に責任
がもてない
繰り返すが思い悩んでいた昭和48年頃、田中角栄が「日本列島改造論」を発表した。
その頃、妻の父親がこの「組み立て土留めブロック」を考案していた。
そして当時工事現場は
のとも分からず、商売として全く未知数であった
義父は技術肌で、完全に商売人ではなかった
後に妻の亡き母親の実家の主に聞いた話であるが若き頃より色んな仕事に手を出し、実用
新案なども色々だしたが、どれ1つ成功しなかったとの話であった
しかし若かった私にはこの組み立て式ブロックが魅力的に見えた
運命の出会いである
私と出会わなかったら間違いなく千里ブロックは世に出なかったであろう
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そんな自分でもサラリーマンからいきなりその組み立てブロックではあまりに危険が伴う
椎茸販売、市ゴミ収集への挑戦、それらは前哨戦の貴重な失敗であった
今度はもっと大きな挑戦である、失敗した場合の保険をかけておかねばならない
ブロックは基本的に男の仕事
家業の呉服は女の仕事
また、両親も助けなくてはならない
私の中に色々の計算と打算が渦巻く
このブロックに本格的に動き出すには時代がいま少し早かったのである
呉服時代、椎茸販売も、ゴミも、千里ブロック、パテント販売も同時並行、重複している
のである
振り返って、この時の約3〜4年の時間稼ぎ、それが私の人生を中味の濃いものにした
運命の女神がいるとすれば、この4年の助走期間が後の「寶」と引き合わせたと今になっ
て思うのである
結果としてボタンの掛け違えは無かった!!!!不思議なものである
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いずれにしてもまだ日本列島改造論の確かな槌音は、まだ私の耳にも目にも届いてはいな
かった
いま振り返って、この呉服の4年は大きな意味があったと考えるのである
そして運命は私を千里ブロックの道に誘ったのである
それでは、呉服業時代から第三の世界、千里ブロックの時代に進みます
乞うご期待あれ!!!!!!!
平成18年12月14日