則天武后

 

「寶」本最後の難関であった

武后、私にとって忘れられない「寶」の重要人物であった

新築した自宅の4畳間で武后と戦っていた

分厚い大室先生の大著「監獄都市」を穴の開くほど検証していた

「監獄都市」は図書館の新刊本であった

司書の森越氏がタイムリーに購入してくれた

まさに天の配本であった

更に他の則天武后の小説とも擦り合わせていた

武庫川女子大の蔵中進先生の『則天文字』の著書も穴の開くほど検証した

武后専用の年表も作成した

更にタイムリーであったのは、当時BSと記憶しているが、則天武后の映画を放映してい

たのである

ビデオにも取り、食い入るように見ていた

4畳の部屋で一人這いつくばいながら苦悶していた

苦悶と言うより、喉と畳をかきむしるような状況であった

果たして「寶」勅令は武后なのか玄宗なのか

部屋の一隅を見つめ、窓の外の月を眺め、1300年の彼方を凝視していた

疲労困憊の体で、星空を仰ぎ、どれくらい自問自答を繰り返したかわからない

蔵中先生の項に譲るが「寶」本で、『則天文字の研究』を更に分け入ったと密かに自負して

いる

武后を飲み込むに、いま少し精神的に若かったと苦笑いしている

それでも何とか歴史の整合は果たした筈である

そうそう雪は多くなかった年である。

武后との壮絶な戦いは、窓のさざんかを眺めていた1月〜2月の頃である

平成19111