承禎の人生観 其の一
人生は一度しかないと強く意識して生きる方が人生の中身が濃くなる
承禎のような阿呆でも、それを意識すると、残された人生を多少の計画性も生
まれるであろう
そして人生が一度しかないとすると、どう生きるかが大問題となる
何を目的にし、そして生きる為の自身の哲学も必要になってくる
人間には向き不向きがある
どんな人間にも生きる為のどこか取り柄がある
そこを伸ばして、向き合って、全力で生きるしかない
取り分け何の能力も頭脳も何もない承禎にとって必要な大命題であった
承禎は、スポーツはどの競技でも才能が無い
基本的に脚力・スピードがない、これは決定的である
スピードが要求される短距離・中距離は無理である
長距離マラソンは多少向いている可能性はあった
高校3年の夏休み福井の東尋坊まで自転車で日帰りした事がある
往復300キロ直線なら京都までの距離である
それを1日で往復した
また高校運動会の時マラソンに競技に出たことがある
成績はラストの組であるが、校庭を最後に手を振って出て、それでも規定タイ
ム内に完走であった。
小さな誇りである
基本的に努力すること練習することが嫌いでスポーツは無理である
しかしマラソンに要求される、持続力、忍耐力は生きてゆくうえで、必要不可
欠な要素である
強力ではないが、この持続力・忍耐力を無意識の中で、体得した事は大きかっ
た
またギャンブルも今一歩センスが無い。
しいて得意を言うなら麻雀と五並べくらいである
しかし昔から腰痛に悩まされ、麻雀も無理であった
しかし麻雀のもつ、知的遊戯がかなり普通の人間より得意であったことも、生
きる上で、大きかった
麻雀は確率のゲームである
これは数学的素養がなくては絶対に無理である
承禎は数学的頭脳理数系ではない
それでも強かったのは、脳味噌の半分はゼロでは無かった
唯一今でも得意なのが五並べである
五並べは殆ど相手がいない。
現在持っているパソコンの五並べに、よほどミスをしなければ、負けない
五並べも一手一手確率判断である
頭の体操である
職人、技術屋は小学校時代から工作が苦手でこれは無理
本来なまくらで、わがままで横着、まじめさや勤勉性に欠ける
これは生きる上で決定的欠陥である
であるからサラリーマンも無理
協調性が無い
これはチームで取り組む組織社会に生きる上で致命傷に近い
また音楽や芸術的センスも今一歩であった
幼稚園から小学校低学年まで生家は炭屋を営んでいた。
そして小学4年頃から、わが屋は呉服業に転業した。
その為、子供のころから家業の手伝いをさせられ、商売人の気質が育まれた
承禎は人の何倍も欲が深い
アルバイトも含め23種ほどの仕事を経験したが、自分にぴったりの仕事は不動
産屋であった
不動産屋は相談してくるお客さんの人生の岐路に関わる責任重大な仕事である
お客にプロとしてのアドバイスが求められる
それには、幅広い知識が求められる
それでどの不動産屋よりも本や経済紙・新聞ニュース・インターネットに目を
配る
そして日本中47都道府県を旅した
全ては、「寶」とそれを支える不動産業の為である
それは日本中の不動産屋の誰にも負けないと自負している
不動産業は天職であった