バレーボール・東レアローズ
日本のバレーボールの最高峰が氷見市ふれスポに来た
こんなチャンスは無いと見に行って来た
試合開始前の練習光景も見ようと30分前に会場入りした
試合前の練習だけで日本最高峰の迫力は十分伝わった
ネットの上から、打ち込む角度と重量感のあるスピードは圧巻である
球が飛んできて拾ったら、想像より軽く小さかった
軽いが表面は皮製で、レシーブは大変である
承禎はコートチェンジのワンセットだけ見てきた
その合間に若いチァーガールがマスゲームをする
なかなか、楽しかった
会場全体は6割少々であった
それで会場はなかなかの盛り上がりであった
バレーボールには思い出がある
中学校時代承禎は器械体操で鉄棒が得意であった
一応鉄棒の種目別で氷見市で3位で唯一の賞状を貰った
跳躍力の無い承禎で、唯一得意が鉄棒であった
昔、体育館が狭く、バレーボールコートの横の隅で、体操部は鉄棒を組み立て練習をして
いた
3年生のそんなある日、逆車輪をして、一回転の宙返りをして着地しようとしたら、女子
のバレーボールの玉が飛んできて、避けようとした一瞬、膝が逆に入った、アウト
バレーボール部は当時、ネットを張らずに横で練習である
危険極まりない状態であった
事故で膝に水が溜まって軟骨が飛び出た
中学生の頃から承禎は、女子は疫病神、鬼門であった
約一ケ月程、治療を要した
膝に水は溜まったが、記憶では水は抜かなかった
それでも、何とか夏休みの県体の団体徒手の試合に間に合った
西部中学に敗れたが県体で二位であった
当時の南部中学は、体操は勿論バレーボール・ハンドボール・卓球は県のトップレベルで
あった
体操の団体徒手は県で8連覇であった
合宿した仲間との思い出は今も胸に熱い
マァ承禎は才能が無かったから体操は中学でオシマイ
膝の左足の軟骨は今でも少し飛び出ている
スポーツは向かない
今も左足を摩ると、中学時代の楽しい思い出がよぎる
そんなバレーボールとの思い出が頭をかすめながら、会場へ行って来た
ワンセットだけで十分で途中で引き返して来た。
それでも十分雰囲気を楽しんできた