茨城篆刻美術館
学芸員で、たしか松村さんと云うお名前である
篆刻美術館の存在を雑誌か何かで知った
確か私はお電話をいれた
そして対応に出られたのが学芸員の松村氏であった
私は「寶」本をお送りした
そして確か電話と記憶しているが、松村氏から幾つかの質問、疑問を賜った
それが最終「寶」本、第7章「土」・「反問と「寶」鑑定の項であった
松村氏は美術館の学芸員である
恐らく大学院を出られた、篆刻の専門家である
当然中国の歴史にも相当詳しい方であろう
疑問質問に答えねばならない
それまでの私の研究が試されるのである
私は質問点に対し確か2度は長文の手紙を書いた
私には、深い自負があった
また即座に応答出来るだけの、山を越えてきた
それでも、電話では言葉足らずとなる
私は手紙で松村氏の疑問点に丁寧に一つ一つ答えた
納得理解してもらわなければならない
手紙は3度かも知れない
以後松村氏は完全に沈黙された
質問、疑問を戴き、「寶」本の内容が更に充実した
以後、今日まで東大の某先生以外誰一人反論は無い
某先生の書状は権威を笠に着た、取るに足らない枝葉な話しであった
その顛末はいずれ触れるであろう
平成19年11月7日