核戦争用シェルター(その2)
植村技研の植村社長は小松製作所の技術者であった
そしてトンネル掘削の無限連続工法の特許を取って、起業された。
そして、日本人の平和ボケに、周囲の反対を押し切って核シェルターの普及を
決意されたのである
承禎は植村社長の考え方に共感した
核シェルター総代理店になって、アメリカNASAの25年間腐らない宇宙食を、
100万円で仕入れた
40年前の100万円である
振り返って、よくよく考えるとアホである
それでも後悔は無い
買った宇宙食は、まだ倉庫にワンカートンぐらい残っている筈である
賞味期限の25年は完全に過ぎている
非常食はビーフ・シチューウとチキンと乾パンであった
5年程前、従業員に3人に分け与えた
食べたかどうかは、確認していない
(ただ、そのうちの1人は『まずかった』と言っていた)
若いころは何でもチャレンジである
山に数日籠って瞑想し、その後一年で一番の荒行の、3月の「接心」の時期、西
田の国泰寺に一週間程、参禅もした
そうそう、その頃新宿と池袋で易者もした
あらゆる経験が「寶」の道であった
普通の人の5倍の人生である
最近は良く眠れるが
『寶』解明とその後の発信した25年間の平均睡眠時間は、間違いなく3時間
30分前後で有る
お隣の森永牛乳の林のおばあちゃんと、社長の後を引き継いだ東平蔵がその一
端を知っている
二人共承禎に毎日寝ているのか???と3度尋ねた