大修館

 

東京へ1度なのか2度であったのか記憶が曖昧である

国立博物館矢部陶磁室長、出光美術館館長、神田古本街、それに某大新聞の文化部のI氏、

日本橋の骨董店も訪れている

最終4版を仕上げて、大修館から本格出版を目指した筈であるから多分2度?!いややは

り1度であろう

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物見遊山では無い!真剣勝負なのである

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いずれにしても私は「寶」を刊行するなら大修館と心に決めていた

私は事前に大修館に第4版を送りそして東京へ出向いた

応対に出たのがM部長であった

結果は慎重審議したが社として採算のメドが立たず、申し訳ないとのことであった

自負があっただけに衝撃は強かった

今になって良く考えると、致し方無い面もあった

私の第4版の「寶」本を読んで、黒川先生が富山県で10人理解できる人がいるかと漏ら

された本である

また元高岡高校の歴史のN先生が、辞典を横に置かなければならないと漏らされた

そして吉野博士の読者が全国で2500人と言われた

いまでも東大卒のK氏・N氏が「寶」本で難渋している

お二人ですら、理解は70%であろう

故NHK経営委員会の草柳大蔵先生や藤井有鄰館・藤井善三郎館長は日本の10本の指に

数えられる雲上の博人である

振り返って、致し方なかった

大修館の苦い経験から今年3月改定「寶」本として書き直した

平成19114