蒼頡たちの宴 武田雅哉
プラファの古本屋で10冊程買い入れて来た
その中の一冊である
昔読んだような気がしたが、それでも買って来た
やはり昔「寶」解明時、読んだ本であった
蒼頡(そうけつ)とは漢字を創造したと云われる中国の伝説上の人物である
蒼頡は目が四つあったと云う
マア武田氏は、よく調べてはある
学問的には必要かもしれない
しかし日本にとって必要のない研究の一面もある
この研究が何の役に立つのか、サッパリわからない
「寶」解明に、1000分のTも役だっていない
武田先生も「寶」解明は、無理で有る事が分かった
並みの秀才の一人である
その点で役に立った
何かの本に書いてあった
役に立たない研究こそが純粋学問とあった
純粋学問は基礎学問と言い換えても良い
しかし自然科学ならその論理は理解できる
最早30年近く前の頃、読んだが「寶」の解明には何の役にも立たなかった
武田先生はこの著書で、恐らく人生の貴重な時間の2・3年は失ったであろう
古本屋に売っているのだから承禎以外、確実に1人は読んでいる
大学の生徒も読まされている筈である
読み返して、承禎なら絶対に書かないであろう
殆どマスターベーションの世界である
人生の貴重な時間の喪失である
その観点からは、承禎は「寶」で、人生の30年を費やした。
時間の喪失も甚だしい
大学の先生は給料が当たる
承禎は自分でお金を稼いで、「寶」に貢ぐ
阿呆である
先生方の何十倍の労力が強いられる
ホント
日本中の秀才が束になっても「寶」解明は無理である
「寶」本に記したノーベル賞を受賞したアレキシスカレルの一節を思い出した
昔この武田氏にも「寶」本を送ったが、何の返事も来なかった
そんなレベルである
巻末の履歴を見ると当時は北海道大学の助教授であった
今頃は教授当たりになっているだろう
焼き物が分からない、そして研究の領域が狭い
この程度が大学の先生である
この程度の先生が何百人束になって掛かっても「寶」解明は無理であろう
マアそんなものだ
「寶」本は、間違いなく馬鹿の証明で有った