東京出張その一
大東建託の招待パーティーが東京お台場のホテルで開催された
東京へ向かう新幹線は初めてである。
これまで東京へは何度も出かけ、銀座・渋谷・池袋・歌舞伎町・浅草などは何度も来てい
るが東京湾のお台場は初めてであった
来て、その景観に驚かされた
東京湾を跨ぐレインボーブリッジが架かり、湾の周りを高層ビルが林立する。
そして奇抜なフジテレビ本社がその威容を誇っていた
パーティーまでの約1時間、海浜公園を散策して、お台場の景観を楽しんだ
4時閉幕で、足早にお台場を後にした。
ヨクヨク考えるとお台場は氷見出身の剣聖、斉藤弥九郎が幕末にお台場建設に活躍した場
所であった
幕末ペリー来航時、江戸城を守る為、幕府が江川太郎左衛門に命じて、東京湾に大砲を備
える台を築かせた。
それがお台場の由来で有る
江川太郎左衛門と弥九郎は師弟の関係で、江川を補佐した
そんな幕末に思いを馳せ、お台場の景観を楽しんだ
日本史における氷見市の二枚看板は、浅野総一郎と斉藤弥九郎である
承禎が浅野の銅像建立を叫んで、それに応えた山崎氏が奔走して建立なり市民も漸く浅野
の偉業を知る事になった。
しかし市民の大半はまだ斉藤弥九郎の偉業を深く知らない
弥九郎は明治維新を開いた竜馬より遥かに働いた、立役者である
桂小五郎、伊藤博文他、明治の偉人を多く輩出した長州藩の志士達の殆どが弥九郎の薫陶
を得た
その斉藤弥九郎を全面に押し立て観光氷見に役立てないのは、無策としか言いようが無い
朝日山公園にある銅像移転の約1000名の署名簿を承禎一人で集め、現在若手の某市会議員
に託して有る
承禎は「寶」の事で時間が無く動けない
マアお台場の景観を堪能しただけで、東京に来た甲斐があった
今晩は〇○そして明日は、永青文庫と江戸村博物館である
まさに日本の首都、東京バンザイである