千載一遇
HP読者に、日本中の学者も知らなかった「千載一遇」(せんざいちぐう)の諺の由来をお教
えしよう
「千載一遇」とは千年に一度巡り合えると云う意味である
遭遇(そうぐう)する、の言葉通り、一遇は一回巡り合うことである
千載の「載」は「年」の事で、これは承禎が解明した「寶」完成なった元号「天寶」三年
に唐朝が史上初めて「年」の文字を「載」(いただく)と改めたのである
時の皇帝は、ラブロマンスの長恨歌に謳われた絶世の美女楊貴妃の夫で有名な玄宗皇帝で
ある
その玄宗皇帝の命令で「寶」制作の勅令が発せられたのが「開元元年」である
その前年が年号「太極」である
「開元」元年から天寶までが30年である
エジプト最大のクフ王のピラミッドの建設期間が学説で20年である
「寶」完成に30年間、延人員何千万人を投入してこの「寶」をひたすら焼き続けたのであ
る
神器は神の器(うつわ)である
その神器「寶」の焼成基準は、焼成不可能な印台寸法・側面の神山の情景・嵌入五雷など
が条件づけられた
全土から強制的に招請された陶工達の果てしなき戦いであった。
神器「寶」の基準を満たさない寶の残骸は何百万個か想像を絶するのでる
黄土高原が禿げ山で中国に樹木が少ないのは「寶」焼成の燃料となる樹木を伐採したから
である
「寶」完成は、アメリカNASAが月面に人類を立たせた一大プロジェクトと同じく中華帝
国の国家の威信を賭けた不可能世界への挑戦で有った
そして完成なった「寶」を天から戴いた「承天の大寶」と命名し、天寶3年「年」を「載」
(いただく)と改めたのでる
「寶」完成と再現は千年に一度の奇跡を待つしか術が無い!!!!!!
まさにそこから「千載一遇」の言葉が生まれたのである
1300年を経て、中国を一度も旅していない、承禎が天命を拝し、奇跡的に解明したのであ
る
『寶』解明にも1000年待たねばならなかった
黒川先生がこの承禎を千里眼と称した
並みの秀才の大学教授などでは解明は不可能である
間違いなく
只の一人として解明の「寶」本に異論反論を唱えた学者はいない
机上の学問では無理である
日本で指折る馬鹿の出現を千年待つしか術は無かったのである
自分の馬鹿に呆れている
以上「千載一遇」の由来である