★★★★★★★★★
永遠の〇
テレビか、ビデオか、どちらかで一度見ていた
しかし見た感想がHPに載っていない
不思議であった
多分テレビだったので書き忘れた可能性が高い
それは兎も角、素晴らしい映画である
勿論百田氏が書いた原作の「永遠の零」は読んだ
著書自体が素晴らしかった
勿論百田氏だから監修にも関わったであろう
百田氏が何故小説の題名を「永遠の〇」としたか?何となく分かる
普通なら「永遠のゼロ戦」「ゼロの戦闘機」その他諸々付けそうであるが「〇」(ゼロ)としたところに百田氏の鬼才が観える
このゼロ「〇」に拘(こだわ)り、少し掘り下げて見る
百田氏は「永遠の〇」とした、果たしてゼロは「〇」なのか?
特攻機となったゼロ戦が果たして歴史はゼロなのか?歴史に何の意義も無いゼロなのか
ゼロなら無駄死にとも云える?!!!!
ただ単に無駄死にであったなら亡くなった英霊は浮かばれない
さらに拡大し日本が戦った事自体が無謀・無駄な戦いであったのか
第二次大戦終結とともにアジアの殆どの国々が欧米の頸木から解き放たれ独立を果たした。
特攻隊の史実は、残酷、悲痛、非情、無残、等々を混濁しつつ、今日も日本人の心に強烈な大和魂の清浄な楔を打ち込んでいる
ゼロはゼロ、「空」カラの同義語である
百田氏のゼロは無のゼロであろう
しかし無は空では無い、無限の質量を有する無である
無と有は表裏一体である
空は真空のカラで虚である
しかし無は無限の質量を有するゼロである
宇宙もまた真空・空では無い
質量無限大の空域、宇宙である
無限の質量を有する無である
ゼロの概念を発明したのは紀元前のインド人と何かで読んだ
ゼロの概念には数学的概念と国語的概念が混合する
ゼロの数位はマイナスとプラスの極限的分岐点、一数位であろう
マイナスの何十桁とプラスの何十桁の中心に位置するゼロが「〇」のアラビア文字で表記され
ゼロは素晴らしく優美かつ静寂である
ゼロに何十桁を×ても、数学的にはゼロである
誰かの著書に宇宙は最終的に全て数理論で現す事ができるとあった。
承禎の頭の中の国語的情景からは、とても答えはゼロでは無い
〇×何十桁は無限の質量の〇×何十桁で、無量大数である
国語的(情感的)数学的(論理的) 世界もまたゼロを境界に無量大数から清浄までプラス・マイナスする
特攻隊を、見たくない、あってはならない、関係無い、無駄死に、犬死に、狂気、馬鹿と思う人。
反対に、日本人の決意を欧米に知らしめ、日本の最後の防波堤となり、戦争の終結を早め、
70年経った日本人に戦争を風化させず、日本人の誇りを蘇らせ、不戦の誓いを新たにさせる、崇高なる決死隊と思う人
どちらも特攻=無・ゼロである
ゼロ=無は、とてつもない静寂を秘めて厳然と存在する
戦後七〇年、敗戦のゼロから出発し「永遠の〇」を胸の奥底に秘め、
ゼロ戦機や戦艦大和などの世界に誇る技術を工業科学技術に転化し
ジャパン・アズ・ナンバーワン・世界の経済大国を成し遂げた
まさにゼロはゼロでは無いのである
「永遠の〇」なのである
そうそう昨年特攻の基地「知覧」へ行って来た
ゼロ戦の特攻隊員の遺書が展示して有った
今もなお多くの日本人が訪れる
果たしてこれが、犬死に、無駄死にであったのか?!!!!!!!!!!!
承禎もまた、百田氏と同じ「永遠の〇」である
お盆で有る、承禎の叔父さんも戦争による傷病兵で本国送還後間もなく病死した。
祖父・父・伯母も一言もその事は話さなかった
一切話さない〇ゼロもまた、万感である
今日は終戦記念日、
英霊に対し深く深く哀悼の意を表する
今日の繁栄はゼロのお陰で有る
平成27年8月15日