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武則天 秘史 1〜13
昔「寶」本を執筆している時、まるで私の為に用意したようにテレビに則天武后が放映され食らい付くように見ていた
そしてしばらく経ってビデオ店で、その「則天武后」のビデオを見つけ、借りて来て再び、何度も見た
やがて20年程前であるから、何本で構成されてあったか分からないが、15本以上であった事は間違いない。
承禎にとって則天武后を研究する事は避けて通れない大問題であった
何故なら、「寶」製作を命じたのが則天武后なのか玄宗皇帝なのか承禎には重大問題であったからである
どちらが命じたのか、それによって「寶」本が違ってくるからである
当時「大漢和辞典」も丹念に追った
津本陽の「則天武后」も読んだ
その他著書名は忘れたが、関連する書籍を何冊も読んだ
そして新唐書・旧唐書も文字這うように辿った
中国史上最初で最後の女帝、稀代の妖婦である
当時まだ若かった自分には則天武后の生きざま、その史実は衝撃であった
夫の父親と関係し、そしてその子と関係し、その皇后を引きずり落とす為我が子を自分の手で絞殺した
そして我が子を殺したのは皇后であると罪を着せ、その後両手両足を切り落とし酒瓶に漬けて殺した
さらに皇帝の二番目の貴妃も百叩きの刑で死に至らしめた
信じがたい妖婦であった
そして皇帝の女となった実の姉と、その娘も殺す。
さらに政敵である無実の罪の官僚達とその一族を、想像を絶するありとあらゆる拷問で死に至らしめた。
最後には夫の一族のことごとくを死に至らしめた
「寶」執筆時の、承禎にとって、受け入れがたい衝撃の史実であった
「寶」の太極奇跡の韻文を考案した司馬承禎は、その女帝に側近として要請されが、丁寧に断っている
承禎でもそうしたであろう。
命がいくつあっても足りない
ホント
今回のこのビデオは、昔見た則天武后と総体的には合っているが、女帝にかなり好意的な見方の武后像である
13本二回に分けて借りて来て、5日間で一気に見終えた
ビデオ店の店員に聞くと全25本との事で9月1日・10月1日二回に分けて入荷するとの事である
まさに則天武后は中国史に燦然と君臨した史上初めてで、最後の女帝である
そうそう則天武后は若い男のハーレムを造った絶倫女であった
歴史は一方向、先入観で見ては史実を見誤る
承禎の「寶」解明の拙著は、中国史を命題にしている東大の名誉教授2名を筆頭に何千人の大学教授・助教授達への挑戦の書である
その何千人の誰一人として異論・反論を唱えたものは居ない
全員沈黙か背走である
机上の知識学問、笑止千万、まさに驚きであった
「寶」が世に出れば、何億冊の中国研究書の書き直し、削除訂正に迫られている
そのためにも、このビデオも確実に舐めておかねばならない
「寶」本で女帝武后には肉迫した
狡猾さは呂后・西太后を上まわる
世界の歴史上、女帝武后に勝る女はいない
承禎なら武后に龍床で全身全霊・徹底奉仕し、絶対に逆らわない。
稀代の毒婦、魔性の女、妖怪である
そうそう皇帝の玉璽の呼称を史上初めて「寶」と改称したのは武后である
しかし武后は「寶」制作を命じてはいない
息子が寶から璽に復している
そして孫の玄宗皇帝が再び寶に復し寶焼成を勅令した。
この歴史的異議は大きい
本来は司馬承禎との対面の朝議の場面もあったら面白い
いずれにしても、9月1日が待ち遠しい
平成27年8月10日