藤井館長A

 

最初に美術館を訪れたのが、何年頃なのか記憶が曖昧である

大阪市立美術館蓑館長、富山県中央研究所、九谷焼研究所の後であった事は確かである

藤井館長の後が、文兆堂西田氏、国立美術館の矢部氏、出光美術館長谷部樂爾館長の順と

記憶している

その陶磁器部門で、終始一貫力強くご支持戴いているのが藤井館長である

陶磁器部門だけでは無く、中国の歴史文化のウイングは広く、奥深い知識教養がなければ、

ここまで素人の私を応援できない

万に一つ、億に一つ間違いがあれば、館長の名は地に落ちる

並の学者、並の美術館関係者なら、言葉を濁し、深みに嵌らぬよう、一定の距離を図るの

が常道である

藤井館長は、HPにも写真を載せているが、「寶」の押印した額と合わせて、私の贈った3

額を一般の人が観覧室とは別の、専門家が覗く特別室に掲げて戴いた

それだけでも大変なことなのである

黒川先生、吉野博士、草柳先生と並んで藤井館長は超一流のお方なのである

私は末尾に載せる3額を有鄰館に送付してから、私の友人他2名を連れて美術館を訪れた

突然訪れた私達を館長は快く迎えて戴いた

そして今年改訂「寶」本をお送りした

恐れ多い事であるが、深い敬意を表した返書を賜った

末尾に掲載しておきます

私が「寶」本を差し出して沈黙を保つ学者は二流である

館長からお声を掛けていただくだけで恐れ多い雲上のお方なのである

!!!!!!!!!!!

私に失うものは無い

天空の果てまで突き進む所存である

沈黙の学会の諸先生方、左様心得られよ

私の怒りは最早マグマ状態である

以上

平成191011