刀剣の故荒勢先生

 

数年前亡くなられた

富山県刀剣協会の会長も歴任されたお方である

離婚問題と家業の再建に忙殺され、亡くなられた事を知らなかった。

あらためてご冥福をお祈りするものです

荒勢氏にも高岡野村と旭丘の不動産売却で2度お世話になった

日本の刀剣界で荒勢先生を知らぬ人はモグリと言われる程のお方である

高岡市雨晴の高台に豪壮な居が建つ

武家屋敷を彷彿させる。門をくぐると、土蔵が2つ、茶室と神社、そして普通の倍以上の

囲炉裏を切った居間、その母屋は豪快かつ繊細な荒勢先生の性格を物語る

重文級の名刀を7振りも持っておられると周辺から伺っていた

刀剣のお好きな日本の財界の方ともお付き合いがあったと伺っている

億単位を超えた桁違いのエピーソードも周辺から伺っていた

事実私の推定でも1千万は下らない品物の発送を2度3度目撃している

一時期私も刀剣高岡支部に誘われ入会していた

そこで、何十もの名工の鍔とともに、宮本武蔵が打ったと伝わる鍔を拝見した事もある

余談だか武蔵の鍔は装飾の施した雅な鍔では無く、荒仕上げの実戦的鍔で、その様にしば

し魅入った覚えがある

私の父親も氷見市刀剣協会の役員も勤めていた

刀剣の蒐集家も骨董の蒐集家も相互に重層する世界である

私は嫌いではないが刀剣は銃刀法で警察に届け出をしなければならず手を出さなかった

しかし鑑識眼のレベルは、どのジャンルも相共通する処があると思っている

それまでどのくらい多くの名品を手にし、見てこられたかわからない

その天下の荒勢先生に「寶」を拝見して戴いた事があった

あの冷静な先生の頭が混乱していたのを、今でも鮮明に覚えている

以後陶磁器に関し、私の鑑識眼に一目置いていただいた

私は不動産をしながら、一挙に荒勢先生の領域に近づいた思いであった

後年知った事であるが、荒勢先生は黒川先生とも親交があった

勿論宗久庵の村中氏とも刀剣協会でお付き合いがあった

最早遠い記憶のようであるが、不思議な思いに駆られる

全ては「寶」の道であった

平成19923