松山城と秋山記念館
九州と沖縄料理は不味かった
しかし老舗旅館「ふなや」の食事は上等であった
そうじて四国の食べ物は良かった
それはさておき、翌朝5時半に起き、温泉に浸かる。
大浴場は3つあり、浴槽の周りぶちはヒノ木造りで、湯質は滑らかで、良かった
風呂の後、出立の用意を済ませ、朝食、そして食事の後、早々にふなや旅館を後に松山城
に向かった
山の城へはロープウエイとリフトであった。
音に聞く名城、松山城はさすが大きく広い
天守閣のぼると松山市内が一望で、約40万都市の広さと大きさにムムムと唸った
そして再びリフトで下り、案内地図をもとに日露戦争の秋山兄弟の記念館に向かった。
甲子園の常連「松山商業」の街、文武両道の松山市民に納得であった
秋山記念館の銅像の前で記念写真そして一路土佐に向けて発進である
正岡子規・夏目漱石・秋山兄弟・坂本竜馬など四国は日本の幕末から明治期の隆盛を築い
た基でもある。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」秋山兄弟を描いた本を読んでおいて良かった。
それがなければ、素通りであったろう
景観はもちろんであるが歴史文化が観光になる事をあらためて確認した。
これまでの氷見市市会議員はレベルが低すぎた
氷見市は浅野総一郎と斉藤弥九郎の二枚看板である
将来承禎が亡くなってからはその二人を上まわる金看板と密かに思っている
マア、致し方ない