沖縄その三
二日目沖縄の目玉、琉球王朝の首里城と、戦争の悲劇、ひめゆりの塔を見学した
首里城は世界遺産である
見事なお城であった
本土の城とは、全く違うまさに琉球王朝の城である
琉球は「寶」の唐の時代から中国と交易していたのが良く分かった
そして江戸時代になると日本と中国二つの大国とのバランス外交をしていたのが良く分か
る
「寶」の唐の時代はまさに中華に重きをなしていた事は明らかである
城の造りも唐代様式が色濃く観えた
そうそう沖縄のお墓の様式は本土とは決定的に違う
本土のお宮と家を一体にしたような墓で、平均本土の二倍の大きさであった
何かの本で、沖縄の墓は、思想的に母の子宮を模したと書いてあった
承禎の感性からは、まさに全てが異国に近かった
沖縄で一番の収穫は承禎の「寶」の獅子「白澤」がシーサーとなって、現存していた事で
ある
勿論、日本本土にも獅子舞や狛犬となって残っているが、その比どころではない
日常の全面にシーサーがいる
そして、ひめゆりの塔で献花と黙?を捧げた
ある意味、ひめゆりの女子学生の悲劇により、その場所が今は観光地化しているのは歴史
の皮肉である
地政学的にまた歴史的に沖縄は致し方の無い運命を背負った諸島と理解した
そうそう忘れていた
基地移転の辺野古の海も見て来た
沖縄振興策にも辺野古は必要と納得して来た
その辺野古の自衛隊基地で基地移転に反対する一団、テンを張って気勢をあげていた
車からおりて、テントの年配の男女二人に話しかけると、すがる様に反対運動の現状を豆
鉄砲の様に話しかけて来た
顔が貧相で、二人とも頭の悪いのが直ぐ分かった
承禎は昔、易者をして観相學を勉強していたから、利発で無い顔から、脳味噌の中が即分
かった
承禎と宮川氏は、早々に引き揚げて来た
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話す事など無い
さらばであった