○○憲祐氏

 

事業に失敗され今は闘病生活でひっそりとしておいでる

そのため実名は伏せる事にした

それでも私に取って「寶」の陶磁器部門の検証に確信を持たせて戴いた私の師匠である

○氏の陶磁器を観る力は本物であった

○氏の博識、学識の領域の広さは大学教授を凌いでいた!

しかしその事を知る人は氷見では少ない

狭い氷見で収まる人では無かった

小さな池に大魚は住めない

酸欠で死ぬだけである

私は?大魚ではないが!やはり正直住みにくい

だからHPでバーチャルではあるが氷見から脱出して!日本中と交信しているのである

今では私の考えはハッキリしている!

氷見は飯を食うところ!

夢を叶えるところでは無いと!!!!!!!!!!

だから氷見と言う池からインターネットで外界に出ようと過去5年、原稿と格闘している

のである!

余談だか私は公共工事も下請けもしない、どんなに小さくとも鶏の鶏冠(とさか)と決め

てきた

だから誰にでも頭は下げても、心は下げない!

だから寝食を惜しんで体と頭を人の3倍つかっていると自負している

考えれば、千里ブロックの民間土止めと、三陽地所の賃貸部門で氷見市を2度制覇した

私に取っては、氷見は釣堀のイケスのような感じである

(傲慢である承禎!ハハァー)

それはさておき、○氏はプロの陶芸家を引率して韓国の窯場を旅する人であった

そして、加藤唐九郎その他、日本を代表する陶磁家の品を所蔵しながら、それらを誇るで

もなく、焼き物の知識を開けっぴろげに、私に惜しげもなく教えて戴いた

本などの机上の知識ではなく、実践の陶磁器学を教わった

例えば陶磁器として使える泥か陶土を舐めて、確かめるのである

国宝級の骨董品でも、一度も感情を表に出さない人である

その○氏が「寶」を見て初めて“凄い”と 語気を強めて発した

そして、これは盲目の陶工の指触りで確かめた陶土で焼いたものと想像する

普通の沈殿槽をくぐって来た陶土では無い

ウム“凄い”と○氏が初めて吐いた

私に取って“凄い”先輩が町内にいたと、今更ながら感心するのである

全ては天啓、天の導きであった

平成1999