清朝地図の謎
関連年号
1835 西太后 生まれる
1840 阿片戦争
1842 南京条約で香港はイギリス統治となる 江戸幕府
条約により上海租界地が決められる
地図に上海租界地が載る・・・よってこの地図はこの年以降に作成された地図である
1853 ペリー来航
1868 明治維新 西太后 33才
1894 日清戦争勃発 西太后 59才
1895 下田条約 遼東半島日本領となる
1902 三国干渉
1904 日露戦争勃発
1906 南満州鉄道開通
1908 西太后死去 73才
1910 韓国併合
1912 中華民国成立
清朝滅亡 宣統帝退位
1914 第一次世界大戦勃発
1931 満州国建国
1937 日中戦争勃発 南京占領
承禎の手元に清朝政府が制作した中国の版図がある
もの凄い地図である
友人の宮川氏が骨董市で分けてもらって来た古い掛け軸のごみ同然の中から見つけ、「寶」
の唐白磁の窯場の場所特定の資料にと数年前承禎に届けてくれたものである
それを表具して事務所の壁に飾っておいた
ヒットすると日本いや中国にも無い可能性の地図かもしれない。
中国全図に台湾は載っているが、すぐ近くの尖閣列島が載っていないのである
それで図書館に行って、この地図が何時ごろ作成されたのか?自前の年表を作って推理し
ているのである
疑問点
@何時の頃作成されたのか
Aこの頃恐らく、これ程の詳細な地図は国家機密であったと思われる
B恐らく、日清戦争・日ロ戦争・日中戦争のいずれかの戦争で日本軍が手に入れたものと
思われる
C日本軍にとっても大陸での戦争に必要不可欠である
D日本軍の作戦司令部にとって機密書類である
Eコピー機のある時代では無い
Fまして地図は、75×100センチで大きい
G省庁などは印刷もしくは版木であるが、地名は山の地形、砂漠万里の長城などは、全て
印刷では無く、手書きと思える
H恐らく現代邦貨に換算すると作成費に10億〜50億円?!はかかると想像される
I日本の国土地理院に同じものが有るか?
J中国政府は自国の不利であるから恐らく完全廃棄処分をしている可能性が高い
K恐らくイギリス軍・ロシア軍・日本軍にとって喉から手が出る程の地図であったと思わ
れる
L1842年〜1912年の間に清朝政府が作成した地図である・・・最低限102年前の地図である。
★注目は遼東半島と尖閣である、既に25部印刷に回した