裁くのは自分自身
この世には法で裁けない罪がある
犯罪の最高刑は死刑である
スーパーで300円の食べ物を盗んだ場合、一晩か二晩留置所に留めて書類送検あたりであ
ろう
再犯もしくは常習者の場合でも、短い刑期であろう
それはさて置き、死刑に問えない重大犯罪がある
法は最低限順守しなければならないルールである
勿論自分は法学者では無い
しかし法の基底に社会通念や道徳がある筈である、
法より狭いか広いかは別として社会通念に道徳がある
道徳より更に内側に個人個人の良心、良識がある
その良心良識とはその人の育った環境また祖父母などから引き継がれた血も影響を受ける
と考えらる
各々の最低限のものの行動規範は良心良識に照らして行動する
しかし、その良心良識の基準が間違っていれば、行動、判断に間違った指令を出す。
たとえば、お金によって深刻な事件をもたらす場合が有る
ある人は、お金は命の次と云う
お金が無ければ何もできない
お金が無ければ、惨めな一生となるのも事実である
しかし本来お金は、幸せになる目的の為の手段である
その手段が、あたかも目的の同列、いや目的そのものの人がいる
夫婦と友達と秤にかけてお金を優先する
もっと具体的に云うなら、友人、兄弟、子供、よりお金を優先しお金の為なら、その人達
を欺く人がいる
何十億円もっても、家族友人知人のいない絶海の孤島でたった1人いても、絶対に幸せで
はない
お金第一主義者はお金の為なら平気で嘘をつく
そのような人間はもともとアカの他人である夫には当然嘘をつく
酷いのになると子供にも嘘をつく
離婚裁判になれば、涙で裁判官もペロリと騙す
女の涙ほど、嘘を隠すものは無い
それは世界共通である
そんな女を私は知っている
亡くなったがその女の父親をしっている
その父親は幼少の頃、両親を亡くし、惨めな環境で育った
その父親と死ぬ数年前に会った事がある
生きているのに無表情、デスマスクであった
心の内面で、何が有ったのかは分からないが、生きた人間であのような酷い顔をした人間
の顔を見たことは無かった
氷つくような、無表情な顔であった
ある程度想像は出来たが、その深層までは分からない
いずれにしても、結局自分を裁くのは自分自身であろう
全ては天の道理である
「天網恢恢疎にして漏らさず」
裁判で裁くのは、ある意味形式的、社会的裁きである
本当に裁くのは自分自身である
即ち裁判長は自分自身なのである
道理に則り、長い年月の果てに、己を己で裁く事になる
生きた人生の総括である
それを総括しない!!!いや出来ない人間の、末路、結末は無残であろう
恐らく断末魔であろう
人生は酷である
この世に生きて出た事、生きている事、生きねばならぬ事、生かされている事、生と死、
摩訶不思議である
起承転結の無い、纏まりの無い、原稿になった
・・・・・・・・・・・・・・・・・
マア、いいか!!!人の人生である