第三章(三)『聖文』
神器「寶」に印された文言は“神の聖なる文言”奇跡の漢宇宙です。
印面の九文字「日界・月界・太上老君勅」は未来の超スーパーコンピューターでも創造
と解析が不可能な奇跡の文言です。
いずれ、なぜ不可能か説明しなければなりません。
今はまだ準備が整っていません。
いずれにしても玄宗皇帝がこの印面に刻された「神の文言」“聖なる九文字”をいかに
喜んだかその証拠をご覧ねがいます。
玄宗皇帝の尊号の加上
(開元=太極)
開元元年 開元神武皇帝 (元年に何故か聖文は無い) 開元27年 開元“聖文”神武皇帝 (「寶」焼成なり印面に篆刻に入る年であろ う) 天寶元年 開元天寶”聖文”神武皇帝 (「寶」奉納) 天寶7年 開元天寶“聖文”神武応道皇帝 天寶8年 開元天地“大寶聖文”神武応道皇帝 天寶12年 開元天地“大寶聖文”神武考徳証道皇帝 |
「聖文」は勿論神器「寶」の九文字です。
太極「寶」の九文字は焼き上げの後彫ったことは印面を見れば明らかです。
即ち中華で知る者は玄宗皇帝以外この印文の考案者司馬承禎と篆刻士、あと玄元皇帝宮の
最高神官、他数名もいない。
まさにトップシークレット、唐朝の超機密事項です。
しかも、九文字に秘められた“神の知”は玄宗とその師、司馬承禎しか知らぬ筈です。
(忘れていました!私がいました)
兎に角、玄宗皇帝が、いかに喜んだか、上記尊号の格上げにハッキリと観えるのです。
天寶元年と天寶7年の尊号にいずれも「開元天寶」と二回も強調しています。
玄宗がいかに待ち焦がれたか・・・月日が長かったか、観えてくるようです。
開元27年に聖文が初めて戴冠されました。
「寶」が焼成なったのです。
そして「寶」が焼成なり篆刻の段階に入った事を意味します。
これでも「寶」を否定するなら、二流の学者、歴史家失格です。
この頃玄宗皇帝はあの有名な楊貴妃を妻に迎えています。
まさに楊貴妃と獅子「寶」両手に花です!!!!
なお詩聖、李白が楊貴妃を“牡丹の花”に例えて詩を詠っております。
これが「唐獅子牡丹」の本当の由来なのです。
辞書に「取り合わせのよいたとえ」は「寶」の発見により、多くの事典を訂正しなけれ
ばなりません。
牡丹の花咲きほころぶ、まさに大唐の二京!
玄宗皇帝の歓喜の鼓動が聞こえそうです。