第三章(二)『神器・太極「寶」奉納』

 

 (以下に記す事実は、全て『大漢和辞典』で検証)

それでは、742年、神器・太極「寶」が降臨した「天寶」元年からの唐朝のテンヤワン

ヤの大騒動と玄宗皇帝の胸の鼓動(こどう)をお聞きください。

まさに世界の中華の帝国が、国を挙げての祝賀です。

@「寶」降臨(完成)により年号を瑞祥(ずいしょう)改元(かいげん)「天寶」とする。

Aそして神器・太極「寶」は、洛陽に創建された大伽藍(だいがらん)玄元(げんげん)皇帝(びょう)」に奉納

される

この神殿は、詩聖()()が「多日洛城北謁玄元皇帝廟」でその威容(いよう)を謳っています。

日本で言えば伊勢神宮、平安神宮、日光東照宮を合わせた程の大神殿であったと

詠う。


                       

                              (想像図)

Bそして、この「玄元皇帝廟」の名称を同年「玄元皇帝宮」と「廟」から「宮」と格上げ

名称する。

更に翌年「太微宮」と更に格上げ名称にしています。

この“太微”とは「大漢和」に天子の宮廷で“獅子座”に位置すると言う。

まさに大唐新時代のシンボル、紐(台座の飾り)白獅子「白澤」が奉納されるに相応し

き神殿の名称です。

2年間で3度も名称を格上げ改名しているのです。

いかに玄宗皇帝が嬉しかったか観えてくるのであります。

 

C天寶元年、「玄元皇帝廟」に神器・太極「寶」奉納する大唐あげての式典に

混成之樂(こんせいのがく)”(太極の調べ)と“太一之樂(たいちのがく)”(天神の調べ)二曲の樂を奉納しています。

『新唐書』

D玄宗皇帝は長安(ちょうあん)で政務、神器「寶」は洛陽(らくよう)の「太微宮」に安置です。

そこで西の長安を「西京」、洛陽を「東京」と名称して両都の均衡(きんこう)を図ります。

Eさらに「寶」を唐朝の玉璽、八璽とは別格扱いし遂には“承天の大寶”と命名していま

す。

その他「年」を「(さい)」と改称したり、「寶」焼成の地にも大宮殿を建て大唐は祝賀一色

であります。

注・この本の各章に「載」を掲げたのは、これに(ちな)むのです。

 

平成19226