第三章(一)『元号』

                       注・漢字の解釈は全て『大漢和辞典』によります

それでは、話を唐代歴史にタイムスリップ致します。

私はその頃、道教・老子・黄帝・易、獅子、陶磁器、唐代歴史、その他を阿修羅となって

調べていました。

そしてある時点から、それらの各分野を徹底的に煮詰めてくると、「寶」の(かい)となって

次第、次第に歴史の実相が浮き出てきたのです。

雲は徐々に晴れ、そして時代考証は、続々「寶」に集結し歴史がひと(くく)りに整合してく

るのです。

それでは「唐代」玄宗皇帝の時代を高性能の望遠鏡で観測し、この承禎が順次解説いたし

ます。

まず中国4000年文化の黄金期この金字塔、年号「天寶」(742年)までをご説明い

たします。

玄宗皇帝の祖母、則天武后の時代、父睿宗の時代、二人ともいずれも頻繁(ひんぱん)に年号を変え

ています。

ところが玄宗皇帝は712年「開元=先天=太極」の年号を発令してから742年「天寶」

までの30年間一度も改元しておりません。

725年歴代皇帝がなかなか果たしえなかったあの泰山“(ほう)(ぜん)()”を()りおこなって

も玄宗は改元を発令致しておりません。

それまでお目出度い事や、瑞祥があると年号を改めるのが慣例であったが、玄宗皇帝は神

器「寶」が焼成なるまで一切我慢したのです。

この開元(かいげん)(太極)」〜「(てん)(ぽう)」の30年間が神器・太極「寶」の製作期間なのです。

巻末の年表も本書の羅針盤(らしんばん)としてHPに掲載してあります。

これまで多くの歴史学者は「開元」もしくは「先天」を歴史書に多く採用し「太極」を見

落として来ました。

712年「太極」で干支(えと)壬子(みずのえのね)で陰陽が出会う、太極の年です。

712年「開元=先天=太極」

  「寶」の印面の「九文字」は易の“太極”を象形したものです。

年号「開元」の意味は「元」を「開く」で宇宙の「元」とは“太極”です。

同年「先天」の意味は「天」が開く前の「先」は、やはり“太極”です。

年号「天寶」は、神器・太極「寶」が焼成なった証しです。

まさに神器「寶」が天から“降臨”した記念すべき元号です。

30年間待ったのです!唐朝の神器が遂に完成したのです!

「寶」を天高く掲げ、玄宗皇帝が年号「天寶」と改め、高らかに宣言する。

まさに登竜の門の扉、歴史は開かれたのです。

中国4000年、文化の黄金期その金字塔に、神器・太極「寶」は天高く掲げられ歴史を

照らす。

漢文化の歴史は今、正に塗り替えられたのです!!!!!!!!!

  平成19226