「寶」解明の序曲(十二)
私は「寶」に突入する決意を固めた時、まず先祖の墓に詣でている。
生家の墓は車で3分程の田園地帯を一望できる高台にある。
酒の一合ビンを手に、可愛がってくれた祖父にその決意を報告するためであった。
私は祖父と一族の名誉をかけて、必ずやり遂げると誓ったのです。
その当時1年少々あれば解明出来るだろうと、たかを括っていたのです。
お粗末至極、単純な頭に今更ながら驚く。
しかしまた単純、アホであるから成し得たのです。
並みの秀才では無理である!!!
そして突入である!!!
何から取り掛かったのであろうか?!
そうそう思い出した。
当初私は「寶」の時代が唐代など頭の隅にも無かった。
本書四で話したとおり、加藤唐九郎著「陶器大辞典」の陶印の記述が頭にあった。
宋代と決めてかかる根拠が幾つもあった。
@中国陶磁器の愛好家なら一般に宋代が技術その他あらゆる面で最盛期と思うのが
常識的であろう。
A 唐代皇帝の徽宗帝は美術品を見る審美眼は中国歴代皇帝の中でも伝説となる程の
B 皇帝であった。
C 徽宗帝はまた国を傾ける程の、美術品コレクターでもあった。
D 文字に刻された「太上老君」は道教の神様です。
徽宗帝は風流天子と謳われた皇帝で、道教にも深く心酔していた。
私は数ケ月間、宋代徽宗帝に翻弄された。
しかし、どうしても宋代歴史と「寶」が整合しないのである。
その事を細かく説明していたら、紙面が足りません、カットです。
しかし当時私は、期待した宋代で無い事が分かると、ショックで中国4000年の途方も
無い壁を感じ、混沌の日々を過ごしていた。
不思議であった、宋代を調べれば調べるほど私の“気”が働かないのである。
皆さんは純然たる歴史の調査に“気”が働かないとは、論外と思われるでしょう。
「寶」の時代特定は中国4000年の捜索です。
“感”とか“気”が働かなくては死ぬまで探しても無理でしょう。
“気”は知識で養われません、まさに経験、体験によって養われると私は考えているので
す。
五感は味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚であり、第六感は五感を総動員したあらゆる体験が
磨きをかけるのです。
六感の上を、人は霊感と言う!
私は失敗の連続の人生、アルバイトも含め20種近くの職業を経験してきた。
今だから話せるが女性遍歴も両手両足で足りない?????!
そうである、印面の「日界」「月界」は「陰」「陽」、「男」と「女」の事です。
「陰」は女性です。
女性、「陰」を知らなければ「寶」の真の解明はやはり困難であろう。
まじめな大学の学者先生では無理であろう
オホン
そうそう「寶」解明に当たり、願掛けに何を断ったか。
墓前で断酒は誓わなかった!タバコも同じ!!!!
私は女性を断った!!!!?
横道にそれました。
それはともかく、この“気”が中国道教でも大切なのです。
私は自分自身の、その呆れるほどの“気”を信じて歴史の海原に乗り出した。