食事・そのP
妻が遁走したのが平成13年5月である
不動産は今年で約20年程である。今年が平成19年
6年差し引くと、それ以前の不動産時代14年間である
不動産を開業する前年は東京であった
良く考えると妻が遁走する以前の15年間妻のまともな手料理を殆ど食ってなかったので
ある
酷いものである
記憶が殆ど無いのである
食事と同じほどの年月、夫婦関係も妻に拒絶されていた
よく考えると既に夫婦ではなかったのである
中村記念病院に入院1回1ケ月程、食事療法を1〜2ケ月続いたのが2回ある
富山の宅配カロリー食の弁当を3ケ月程とっている
戸出市ノ瀬和田内科に2〜3ケ月入院したのが3回か4回ある
遁走する1年半前から親しくなったひみ浜さん宅で1ケ月の内20日程朝夕ご馳走になって
いた
駅裏のマンション・サンステージで執筆していた頃、八幡寿司がバイパスにあった
八幡はおかずを測り売りしていた・・・記憶は定かでないが2年〜3年程本当に助かった
八幡寿司が氷見から撤退してガックリであった
また、バイパスに百万石うどんがある
妻が遁走してからは行かないが、昔私は1週間に5回程素ソバを喰っていた
弁当を取っていた頃や入院している以外数年間は相当通った
だから百万石の主堂田さんも従業員も、どんなに忙しくても私が注文しなくても黙ってカ
ケソバを出す
妻の朝食はパンにバター・コーヒーにポテトサラダかタマゴサラダであった
和食は年に何回あるか無しかであった
味噌汁を何度も要求したが拒否された・・・・酷いものである
遁走後判明したのは私に死亡保険金1億円以上掛けてあった
最後の5000万は別件の詐欺で逮捕された日本生命の外交員〇岸百合子と共謀し私と担当医
を欺き入れた
月の掛け金が30万円程である
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20年間一家団欒で食事した記憶は殆ど無かった
子供二人を大学にあげねばならない
家も建てねばならない
必死であった、そして「寶」に突入である
風呂ですら記憶が少ないのである
こんな馬鹿だから「寶」解明に取り掛かったのであろう
馬鹿でなければ、こんなアホな事しない
ホント
平成19年7月18日