「寶」の日付と軌跡・そのG

 

「寶」のHPに「未完のHP」が載る

この「未完のHP」をクリックして最初の頃の原稿「大和航海誌」の日付が平成124

10日である

そして最終頃の日付が520日頃になっている

40日間で書き上げている

この時は将来のインターネットを想定して、最後の戦いに突入したのである

自費出版の初版本「寶」を書き終えたのが平成1195日である。

書き上げて印刷にまわした頃、糖尿病のため戸出の市ノ瀬和田内科に入院していた

その頃から私は全ての原稿に日付を入れる事を義務付けしていた

それは「寶」が世紀の発見である事が分ったからである

「寶」書き上げに7年を費やしている

どうしていたかはオボロゲであるが、期間だけは良く覚えているのである

だから「寶」執筆に本格的に突入したのが平成5年初頭であろう

準備期間に1年少々、平成4年頃である

「寶」とめぐり合ったのが、その1年前程である

だから平成3年頃である

娘の結婚が平成12年の9月であった

離婚を決意したのが娘の結婚式の直後である

離婚の行動を起こしたのが8ケ月後の平成1353日である

「未完のHP」から既に7年が経過している

「寶」とめぐりあって、約16

不動産業者登録が6、不動産を開業して約20年、ほぼ勘定が合ってくる

開業前の8ケ月程が東京である

原稿に全て日付をつけていたので、良いにつけ悪しきにつけ過去が分かる

あっという間の20年であった

言葉にならぬ歳月であった

司馬遼太郎先生の気持ちが分かるのである

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はてしない戦いは今も続いている

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机上の学者が大勢である

日本人は劣化している

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                                             平成19716