「寶」の日付と軌跡・そのG
「寶」のHPに「未完のHP」が載る
この「未完のHP」をクリックして最初の頃の原稿「大和航海誌」の日付が平成12年4
月10日である
そして最終頃の日付が5月20日頃になっている
約40日間で書き上げている
この時は将来のインターネットを想定して、最後の戦いに突入したのである
自費出版の初版本「寶」を書き終えたのが平成11年9月5日である。
書き上げて印刷にまわした頃、糖尿病のため戸出の市ノ瀬和田内科に入院していた
その頃から私は全ての原稿に日付を入れる事を義務付けしていた
それは「寶」が世紀の発見である事が分ったからである
「寶」書き上げに7年を費やしている
どうしていたかはオボロゲであるが、期間だけは良く覚えているのである
だから「寶」執筆に本格的に突入したのが平成5年初頭であろう
準備期間に1年少々、平成4年頃である
「寶」とめぐり合ったのが、その1年前程である
だから平成3年頃である
娘の結婚が平成12年の9月であった
離婚を決意したのが娘の結婚式の直後である
離婚の行動を起こしたのが8ケ月後の平成13年5月3日である
「未完のHP」から既に7年が経過している
「寶」とめぐりあって、約16年
不動産業者登録が6、不動産を開業して約20年、ほぼ勘定が合ってくる
開業前の8ケ月程が東京である
原稿に全て日付をつけていたので、良いにつけ悪しきにつけ過去が分かる
あっという間の20年であった
言葉にならぬ歳月であった
司馬遼太郎先生の気持ちが分かるのである
・・・・・・・・・・・・・・
はてしない戦いは今も続いている
・ ・・・・・・・・・・・・・・
机上の学者が大勢である
日本人は劣化している
・・・・・・・・・・・・・
平成19年7月16日