炭屋

 

子供の頃我が家は炭屋を営んでいた

薪、練炭、炭、豆炭などを売っていた

現在の事務所が倉庫であった

時には倉庫の天井近くまで炭が積み上げてあった

昔炭を積んだトラックが来て、天井高く積み上げている頼もしい父の笑顔が今も思い出さ

れる

良く考えると、父親の苦労話を殆ど聞いた事がなかった

父親が亡くなって、この年になって初めて深い感謝の念が沸き起こる

信心深く温厚で誠実な人であった

私と違い人と争う事の嫌いな人であった

父親を悪く言う人はいなかった

私は間違いなく血の気の多い母親の血が濃い

80%は母親の血である

それはさておき、子供の頃と言っても小学14年生頃の事である

良く炭、練炭の配達に行かされた

遠い所まででは無い

今でも記憶しているのは、布施善書店まで何度か配達に行った事を記憶している

自転車の後ろに積んで行くのである

後ろの荷台に練炭10個入りのコロを1つ積むと重心が上で均衡がとれず手押しでもハンド

ルがふらつきよく転倒して割らかした、それでも親は叱らず、辛抱づよく手伝わせた

冬、ソリに練炭2ツを積んで配達した記憶がある

当時は大通りにアケードが無く銀杏並木であった

歩道の雪が消えていると前へ進めない

通り掛かりの大人が押してくれた事を今も記憶している

親は私に勉強の事は一言も言わなかった

そのかわり、命令ではないが、仕事の手伝いをよくさせられた

そうそう一番古い記憶の大通りにはアスファルトが無かった

馬車が行き交う記憶がある

プロパンが普及してきて父親は爆発事故が怖くて転業した(笑い)

気が小さい人であった

ホント

そして母親は古着屋、父親は行商に転じるのである

平成19725