そのE「ワープロ」
背に腹は変えられぬ
必要は何とかの母である
ワープロを覚えるしかなかった
文明の利器、機械ほど苦手なものは無い私である
機械関係とは相性が悪い、だからパチンコもしないのである
もともと欲の深い完ぺき主義者である、薄い小誌で満足する私で無かった
小誌はほんの手始め基本設計みたいなものであった
その小誌の段階で既に「寶」が中国5000年(一般に学者は4000年としている)の未曾有の
至宝である事を喝破したのである
この小誌のままで終わる訳にゆかないのは当然であった
兎に角そんな時、誰かがいらないワープロを私にくれた人がいた
箱型の旧式のワープロであった
使ってみて文字が訂正できて、文章が途中で差し挟まれるのである
この時ほど文明の利器に感謝した事はなかった
キリストの光が差し込んだようで、思わずオーマイ・ゴットと叫んだ
以後、東芝ルポ、2台買う
完成までにワープロ3台が廃棄され、現在はノートパソコンを使っている
原始人がパソコンを使っているようなものである
自分でもよくぞここまで来たものだと呆れている
ただただ、執念だけである
平成19年7月15日