美しい風景

 

身近な人と話していると、皆さん自分より旅行が多い事が良く分かる

これまで仕事ばかりで旅行の少ない人生であった

後悔は全くしていないが、旅行に関しては、何と言っても「寶」解明で失われた

20年の歳月が痛い

そんな訳で、近年意識して旅行をするようにしている

昔から「百聞は一見にしかず」と云われた

世界を旅したかった

テレビで世界の旅の番組があると、食い入るように見る

世界で無くとも国内でも、その土地その土地の歴史・文化・風土・微妙な人情の違い・

土地の名産名物がある

またお国自慢がある

実はこの項は、そんな旅行話を書く為に書き始めた訳では無かった

自分の子供の頃に見た美しい光景を書きたくてキーを叩いたのだが、

冒頭から煙管(キセル)の先端のように、なってしまった

それはともかく、私はこの氷見市取り分け私が生まれ育った朝日本町は世界一素晴らしい

土地と思っている

海山が近く、家の前の通りは、上日寺の参道

朝日山公園が直ぐ裏山である

子供の頃、フンドシをして十二町の潟へシジミ採りに行った

その潟周り、36町歩が先祖の土地であった

先祖の墓が建つ村上の高台から、その田園が一望できる

「ウサギ追いし、かの山」である

天才藤原正彦先生の著書に、子供の頃美しい光景の故郷を持つ事は、人格形成に

大切なこととあった

その意味で、情景豊かな氷見で育った事の意味は大きい

私は子供の頃の記憶で今も脳裏に焼き付いている光景が二つある

一つは

     場所は曖昧であるが、山へ栗を取りに行っての帰り道、ススキの白い穂が一面に優しく

なびく野原に、赤く大きな夕日が沈む前の光景である

その絵に描いたようなあまりに見事な夕焼けの光景にしばし立ちつくしていたのを鮮明に

覚えている

今も感動ものの夕日である

いまひとつ、氷見高校のグランドの一隅に大きなポプラの木があった

これも小学生3・4年生の頃の事である

そのポプラの木は空に向かって真っすぐ伸びていた

私はそのポプラの木の根を枕に、大の字に寝そべって、上へ上へと伸びているポプラの枝

と、その果てのどこまでも青い青い空を飽きることなく眺めていたのを、鮮明に覚えてい

勿論、上日寺の大銀杏の黄金の紅葉も素晴らしいが、毎年見ていて慢性化になっている

恐らく、他所の人ならそれだけで感動ものであろう

勉強など無縁の自分が、多少なりとも歌を詠むのは、恐らくこの情景豊かな氷見市朝日本

町に生まれた御蔭と思っている

都会のマンションで育ったら、自分は間違いなく特殊学級であったろう

この豊かな光景を、これからも堪能してゆける人生に大いに感謝である

恐らく「寶」解明も、先祖の血と、この抒情溢れる、故郷の風景が作用したのであろう

平成231218