忘年会
今年の忘年会を近くの居酒屋Kの二階でした
参加人数は従業員と出入りの業者を含め11人である
もっと呼びたかったが、諸々考えて少人数とした。
参加人数は一頃の忘年会の、半分以下である
それでも、今年も何とか忘年会を開くことが出来た
あと何年開くことができるか
一年・一年を大切に生きたいと願わずにはおれない
それはさておき、一年の早い事、あらためて実感する
その早さは、殆ど恐怖に近い
一年のスパンが年・年狭まっている
今年2月26日、日本における陶磁器界の最高峰である「東洋陶磁学会」の竹内順一常任
委員長が来氷した
そしてその13日後の3月11日東日本大震災が起きた
その後直ぐに、東電福島の原子炉が水素爆発を引き起こし、日本中が大混乱に陥った
即「寶」の発表その他を最低限8月末日まで停止する旨を竹内委員長に申し入れた
まさにドンピシャ、私の予測通り管内閣は倒れ野田政権が9月3日より発足した
堰を切ったように、9月1日より歴史四学会に内容証明書を送付し、矢継ぎ早に政府閣僚
はじめ、文科省・文化庁・NHK・日本を代表するテレビ局、新聞、出版社などにミサイ
ルならぬ配達証明付き書状をガンガン送付した
全てを予測し、8月中に何十通の書状の下準備をしていたのである
友達に出す書状では無い!!!これまた、神経を使う作業であった
兎に角、打つ手は打った
人事を尽くして天命を待つ、である
あっという間の一年であった
そうそう、7月頃、東北五県を旅した
8月、ヒカルのもの凄い家財を片づけ、その後売却した
富山県の一般家庭で3軒とない、家財(ゴミ)の山である
片付に20日以上を費やした
これまた、一生の思い出でに残る仕事であった
「寶」戦い、生きるための本業の不動産、そしてこのHP!!!
表面は酒飲んで遊んでいるようだが、楽屋裏は戦争場である
兎に角、あっという間の一年であった
チョッピリ誇らしいのは、HPの歌の数が2000を突破したことである
駄作の山であるが、それでも拍手である
継続は力である
読書の数が8年で800冊、即ち年間平均100冊に届かない
根気の萎えが感じる昨今である
マア読みたい本も少なくなって来たのも事実で、致し方無い
来年2月初旬、竹内委員長が再度氷見に来られる
不安と期待が交錯する
吉報を願うしか無い
残り二カ月を切った
諸々の思いを胸に、昨晩は思い出を肴にお酒を楽しんだ
久しぶりに酔った
この大恐慌を何とか乗り切った
正月まであと残り15日、諸々忙しい
今年一番、胸に痛いのは○○の事である
痛恨の油断
強く立ち直って欲しい
それを願うしか無い
震災の被災者もいる
この世は、諸行無情である
立ち向かうしか無い
明日と云う日は無い
一日一生
その延長である
最後のラストスパートである
入力の今朝、初雪である
昨日、スノータイヤに替えた
従業員がもうすぐ来る
朝飯を早く喰おう
平成23年12月17日