農耕民族「日本人」
1000人の秀才集団でも、たった一人の天才に勝てない
これは最近私が痛切に感じている事である
歴史上、チンギス・ハーンしかり騎馬民族はトップリーダーが部下を圧倒する能力で君臨
する
日本人は基本的に農耕型民族である
そのため天才は排除されやすい
詳しく話していたら本になってしまう
天才と秀才の違いは何か
己を捨てられるかである
地位も名誉も家族も捨てられる
そして命もである
己と妥協しない人間であろう
アインシュタインも決して学校の成績は優秀でなかったと言う
そして天才はある種特異な感性を持っている
それは知識で磨かれるものではない
五感で磨かれた第六感、その六感のある時点、ある事象のヒラメキを極限まで追求したと
き、新しい世界が広がるのではと、凡夫が想像するのである
勿論それ相応の基礎知識は必要であることは間違いない
政治に目をやれば、私は、小泉総理は天才であったと思う
現代の織田信長と評された
断固として郵政民営化に突き進んだ
あの刺客を差し向けた凄さ
政策遂行には、先輩も朋友も無い
心の中は白刃をかまえた鬼神であった
激務の中でオペラ観賞をした姿が印象的であった
感性が凄いのであろう
マスコミの秀才達など束になってもかてない
戦国時代ならまとめて、獄門曝し首であろう
●私は日本への賠償を放棄した天才戦略家毛沢東には戦慄を覚える
当時の秀才集団外務省の無能に呆れるばかりである
日本は永遠に借りを作ってしまった
そのごのODAなどの支援、底なし沼に嵌められた
●このことを書いた著書を私は知らない
靖国問題、尖閣問題、以後なにも言えなくなってしまった
現代の女と同じに秀才集団の限界を知らねばならない
この原稿を読んでいる諸君もそうである
私?オホン!
現代版世相の徒然草である
思いつくままの、無責任原稿発信
平成19年5月11日