作詞家・星野哲郎
今朝テレビで「昭和の元気」と題して初代若乃花と作詞家星野哲郎を紹介していた
若乃花は大好きな横綱であった
映画「土俵の鬼」となった
映画を見に行ったのは、小学校高学年の頃だったと記憶している
子供の頃身体は小さかったが、相撲は結構強かった
祖父も父親も相撲ファンであった
そうそう、昔朝日山に大相撲が来た
父親か祖父、どちらか忘れたが1回、それと近所の友達と1回観戦に行った
誉一山荘の娘さんが相撲の安念山と結婚した筈で、当時その安念山も巡業に来ていた
安念山は関脇で一回優勝している
色んな事が思い出される
そうそう私は子供の頃、歌を殆んど歌わなかった
訳は父親が喉チンコで金を儲ける歌手を好まなかったから、家で歌謡番組を殆んど入れな
かったからである
但し、日曜NHKのど自慢コンクールだけは入っていた
であるから小学校・中学校音楽の通信簿は3が最高で殆んど2であった
そんな私が、カラオケが大好きになった
歌わない分、逆に耳をそばだてて聞いていたのであろう
懐メロを結構覚えているから、間違いない
神戸にいた時、歌声喫茶に二度ほど足を運んだ事を記憶している
その頃、ペギー葉山の「学生時代」が流行っていた
何でも思い出すものである
そうそう今年亡くなったという星野哲郎先生の話であった
水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」その他4000曲程作詞したと云う
その作曲数にマイッタ!!!
しかも、船乗りを志したが、身体を病んで闘病生活を5年程して喰うために作曲の道に進
んだという
人生とは不思議なものである
絶望から希望の道が開かれる
作詞は山口県周防灘の景観が情感を育んだと云う
数学者の藤原正彦先生も数学者には子供の頃の美しい風景からの情感が大切と云っておら
れた
子供の頃の美しい情景に触れておくのが、いかに大切かである
都会の子供や、かぎっ子は二流の秀才になれても、一流や超一流にはなれない事が良く分
かる
承禎も良く海水浴にいった
富山湾と雄大な立山連峰を見た筈である
しかし子供の頃に、その偉大なパノラマに感動した覚えが無いのである
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良く考えると、海水浴シーズンは立山連峰がそんなに鮮明に雄姿を現してはいない
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何より女の子の〇が気になって、それどころでは無かった
ンーーーーーーーーーーーーーーー!
ここでも、俺の才能を邪魔したのは女であった
遊びと女が、大成を阻んだ
来年は禁酒・禁煙・禁牝とするか
そうなったら、一週間でお陀仏だろう
やはり承禎は承禎らしく生きよう
!!!!!!!!!!!!!
平成22年12月30日