喜怒哀楽と涙腺
今の自分に非常に困っている事がある。
それは涙腺が極端に弱く、制御不能なのである
アジア大会の100メートル競走で福島女子が優勝しただけで、涙が止まらない
声は出さない、涙が独りでに流れて出て、頬を止めどなく濡らすのである
嬉し泣き、感情移入した感激の涙なのである。
ナショナル・リストで、その関係にとりわけ弱い
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子供の頃泣き虫でもなかったが、ここへ来て本当に涙もろい
感動するテレビ番組など、人と一緒に見れない
悔し涙はゼロに近い
悔しい経験は山ほどしてきたから、不感症になっている
しかし感動の涙に弱い
それは成し遂げた人の努力が多少なり分かるからである
私も「寶」で死ぬほどの思いを何回もしてきたから、結果の陰に隠れた努力が人より分か
るからであろう
男のくせにと思うが駄目である
自分にはテレビのニュース解説者など、絶対に無理である
彼らは時々、鉄仮面か人非人かと思う程である
日頃どうゆう訓練をしているのか、教えて欲しい程である
ヘソに力をいれるか、心を殺す訓練が必要であろう
私が解説者であった場合。感動や悲しいニュースなど、カメラの前で泣いているだけで報
道できず、前へ進めないだろう
幸運に「寶」が世に出たなら、サングラスとハンカチとチリ紙は絶対必需品である
まだ先であるが、心配である
笑も噛み殺せない
昔から男は歯を見せないと言われた
笑と涙、相反する症状が制御できないのである
その点で両方とも失格である
人間の鍛錬が足りない
昭和天皇崩御の時も一人部屋に籠って、テレビの前で泣いていた
涙がダラダラ独りでに流れ出てくるのである
特攻隊の本を読みながら、トイレで一人泣いているのである
どうも喜怒哀楽が人より大きい
怒りは頭に血が上る怒りでは無い
冷静な怒りである
いずれにしても、そんな自分、嫌いでも無い
感動力がまだあると云うことは、若いと云う証拠と都合よく考えている
人の為に泣く
人と一緒に喜ぶ
共鳴する
喜怒哀楽は人生で大切なことと思っている
危険を避けたり、人と深く交わらなければ喜怒哀楽は育たなかった
私は自分の人生を素顔で生きてきた
取り繕ったり。よそ行きの顔で生きてこなかった
服装もそうである
格好をつけてこなかったからお金もかからない
普段着、素顔で生きて来た
色んな会や、会合。役員も殆んど避けてきた
だから、よそ行きの訓練を積んでこなかった
頭や顔に、リキッドやクリーム香水も一切無しの人生である
顔も普段着、素顔である
それでも女性にモテタ
財布も持たない、ポケットで裸銭である
心も人生も素顔で生きれば。楽である
昨日NHKの龍馬が終わった
龍馬も素顔で生きていたような気がする
龍馬も服装など殆んど気にかけなかったらしい
ネーチァーで生きられたら、経費もかからず楽である
話はずれたが喜怒哀楽の多い人生は豊かである
これで原稿一つ
〇ちゃんが追いかけてきている
ヤバい
年内に追いつかれそうである
追い付いたらカレーライスを御馳走する事になっている
ひょっとしたら3年間守ってきた承禎の操の危機も無いとは限らない
困る?
全く歓迎の事態である
減速体制
今日はここまで