朝の散歩

 

昨夜の小雨が、夜の闇に温存され、事務所前の湊川一帯を初秋の朝らしい冷気に包んでく

れた。

朝の冷気に誘われ、読みかけの本を片手に川べりを歩く

私は時々事務所前の朝日橋から、町内を分ける下流の橋までの一周2キロ程度の

川べりを時々思いついたように本を読みながら歩くのである

今、朝の5時30分である

橋の欄干の袂に、何時もより早く町内の班の当番により、可燃物を覆うための青いシート

が敷かれてあった

足元に軽く注意を払いながらも、私の神経の殆んどは本に注がれている

足取りは、一歩一歩注意深く、暗闇での手探りの様に、確かめ確かめ片方の足を小幅に前

送りして進む

その歩みの遅さは、私の基礎的読解力のなさ故の遅さに自律神経が供応して、歩調は遅々

としている

二宮金次郎も歩きながら本を読んだと言う

家の手伝いをしながら本を読んでいたと云う金次郎より、間違いなく遅い足取りだろう

確かソクラテスも歩きながら本を読んだり、弟子達と歩きながら哲学を論じたと云う

歩きながら本を読むと、確実に読書が進む

不思議である

椅子に座って読むより、物語が早い

きっと足の運動が脳を活発にするのであろう

そんな確信に近い意識が、時々私に散歩の読書を促す

事務所から十数メートルの欄干中央に差し掛かると、シオリの糸を挟み、本を欄干に注意

深く置く、そして両の手を欄干の外側に掛けて、軽い足の屈伸運動をする

そして、朝まだ早い湊川前方に目を据える

子供の頃に比べたら護岸は格段に整備され、歳月の重さを感ぜずにはおれない

基本的には見慣れた前後の風景だが、私はとても気に入っている

喜びも悲しみもこの風景の中に溶け込み、光景全体が自分自身のようである

今日のように誰も居ない時間帯だと風景が厳粛である

いや神聖ですらある

川面を見ると、4・50匹程の小魚の群れがアチコチに顔を出している

10センチ程の多分ウグイの群れと思うが、魚の特定までは知悉していない

何故か分からないが、私の事務所側即ち、西側の護岸に沿って縫う様に群れなす

多分、山を背にした西側は日照の関係で、護岸に餌の河藻が多い関係であろう

朝日が差すと、一団の群れは嬉々として動作を増し、確率的な数のウグイが背を返し銀白

色の横腹を翻す

多分今年生まれた若魚であろう、清清しく、気だるさの抜け切らない私の気分を、リズミ

カルな世界に跳躍させてくれるのがよく分かる

小魚たちも、朝を満喫しているのであろう

湊川の流は緩慢で、鮒、ハゼなどが釣れ、鯉も時々上流から遠征してくる

一昨年だったか、生まれて初めて釣った鯉の手応の感触が、蘇る

私は小説やフィクションの類を読まないので、詩的になれない

しかしありふれたこの朝の静寂の情景そのものが高尚な文学である

ここで生まれ、ここで育ち、何十年を経て再びここに舞い戻り、ここを居と定め

ここで生計を営む

そして朝日橋の欄干中央に一人たたずむ

両手を上げて、海から送ってくる微風を胸一杯に、ゆっくり大きく吸い込む

満ち足りた朝の至福の一時である

あの記録的猛暑が嘘のような、秋が開けてゆく

命を賭けた戦いは、もう少し先、混濁の川底である

20年の悲願を込めた矢は、満々と引き絞られ今月20日放つ!!!

そんな悲壮な思いも、この朝の風景に殆んど薄められ、緩やかである

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地球の自転は確実にこの世界の片隅、ありふれた湊川の風景にも秋を添えてくれた

やり過ごした、櫻の木にチラホラ色づいた枯葉が、秋到来を確実に告げ、夏を川下の海の

彼方へ押しやった

季節の無常を教えてくれる

落とした、数枚の落ち葉がカラカラとアスファルトを鳴らし季節の確かな運行を告げる

暦は確実に消去され

私の心は川中島の朝霧である

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朝日が昇り、景色全体を識別するかのように、濃淡を鮮明にする

耳慣れた軽自動車のエンジン音が、軽快に後ろから迫る

東平蔵である

そのクラクションが、私の感傷的空間を破る

朝の挨拶である

私も無い男だが、平蔵の文学的世界は生れ落ちる前の世界に置き忘れてきたとしか言い様

が無いのである

暗黙の世界に急かされ

歩調は一気に速まり、平蔵との今日一日の笑いの戦端が切って落とされた

!!!!!!!!!!!!!!!

平成221017