存在の意義

 

「我思う故に我あり」は確かデカルト

「人間は考える葦である」はフランスの数学者のパスカルの筈である

ご存知パスカルは三角形の定理を証明した人で、思想家でもある

インターネットで調べると二人とも数学者で哲学者・思想家であった

現代日本で言えば、数学者の藤原正彦先生のようなお方である

日本人は外人を必要以上に評価し日本人にそれ程評価しない

私に言わせれば、藤原先生はデカルト・パスカルクラスと断言しても何ら不思議でない

ホントである

10年程前、幼稚な考えで、数学は全て答えのあるもの

文学に100点満点は無い、ゼロ、そう、完璧な答えは無い

であるから、数学より文学の方が難しい、などと早合点していた

浅はかな奴、愚か者と言われても、返す言葉が無い

そうそう、それでも村上春樹氏の「1Q84」の文章、ケチの付けよう無い程、限りなく

100点に近かった

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私のは、素人のお遊びで問題外!!!!

葦(あし)は沼や河原に群生している

それではパスカルにしたがえば、考えない人間は単なる風にそよぐ河原の葦である

河原の葦を見て、パスカルは人間に見立てた

数学者のパスカルが河原に立って思索している情景が浮ぶようである

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詩的である

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情けない限りである

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またデカルトに従って、我を認識しているかと問われれば、全く心もとない

限りなくゼロに近い

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自己の存在意義、存在理由を認識していないとなれば、風にそよぐ河原の一本の葦と同じ

か・・・・・ーーーーーーーーーーー!

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宇宙誕生から膨張する宇宙を直線と仮定した時間の進行から考えると己の存在点は確認不

能、芥子粒にもならない

そんな自分が、現実には人生を泣いたり笑ったり腹を立てたりして生きている

いや現実なのかどうかも疑わしい

生きる上での、自己確認作業が全く怠っている!!!!

自己の存在意義を考えれば考える程、自己の存在が芥子粒になったり、逆に宇宙規模にイ

ンフレーションする

しかし浅い確認作業であるから、どちらもバブルになって、いとも簡単に弾ける

そうだ、悪い頭でこんな事を突詰めるより、単なる葦と自覚して、焼酎を飲むか

     ちゃん!!!!これはたんなる原稿稼ぎの、戯言です

それでも、脳裏のどこかに、自己の存在意義を絶えず意識していないと、自分の存在位置

を見失い、打ち寄せる海辺立った足元のような危うい感覚に陥る

自己を認識して初めて全宇宙と対峙できる認識したら、現在の状況では到底安心ができな

い、

より不安を和らげるため、知的摂取に勤しもう

!!!!!!

さすれば安心度が増して焼酎も美味しくなる

ホント

読書の秋、食欲の秋、馬肥ゆる秋

女が美味しい季節

ン・・・・・・・

女心と秋の空!関係ないか!

気をつけよう

平成221013