月と現代
今月24日、薔薇園アイヤマガーデンの観月会に誘われた
生まれて初めての月見の宴であった
催しに琴の二重奏
そして女性琵琶師の演奏と弾き語りであった
インターネットで調べると弾き語りは平曲と云うらしい
兎に角素晴らしかった
子供頃「耳なし法市」の話を読み、怖かったのを覚えている
確か耳にお経が書かれてなかったので、怨霊に耳を取られた琵琶法師の話と記憶している
それは兎も角、昔は月で「ウサギが餅つきをしている」と言ったものである
事実、月のクレーターの濃淡がウサギが餅をついている様に見えた
また「かぐや姫」の物語があった
「月の砂漠」の歌もあった
しかし月面探査により、それらの夢物語は無残に消えた
しかしまだ、我々の世代には、3割は心の中に情緒として生きている
しかし今の30歳以下の若者には、月=クレーター(あばた)=死の世界、情緒的世界は
ゼロに近いだろう
科学技術の進歩は、我々の世代の情緒的世界をドンドン壊してゆく
科学の進歩は迷信、情緒、などに強烈な閃光をあて、ある意味人間の心を乾燥化させてゆ
く
子供達の情感はドンドン科学化され、情緒的ではなくなって行く
情緒の「緒」はモノの「いとぐち」で、情は諸々であり、その「情」が乾燥化されてゆく
のでる
今読んでいる村上春樹のベストセラー「1Q84」(一巻終了)を読んでいるが、私には今
のところ全く、ピントこないのである
もの凄く、場面を細密に描写してあるのだが、私の感性に響いてこないのである
情感と云うか、抒情性が無く、文体が事務的ですらある
それは先ごろ読んだ、東野圭吾の「白夜行」も同じであった
昨今、殺伐とした事件が日常茶飯事である
社会全体が「愛情」「人情」「友情」「感情」が希薄・乾燥化していると思えて仕方が無い
その他「情熱」「情念」「純情」「温情」「同情」などがある
ベストセラー二冊に、これが少ない
反対に「情欲」「情事」「欲情」が絡み「薄情」「激情」「非情」的で、それらを「煽情」し
ている感がある
現代の若者受けであろう
そして「詩情」「旅情」的な情景は殆んど無い
だから、胸に響かない
耐えて読んだ
昔、確か情操教育が大切と叫ばれた
これからの子供達は何で「情操」を育むか
「詩情」の王様的存在であった“夜空の月”は情操教育の対象から外れてしまった
難しい課題である
窓から見える月を眺めて、ウサギさんが餅を搗いていないか非科学的に眺める
どうやら私の「情感」も3割犯されている
月を見て、いらぬ事を考えた
観月会の琴と琵琶の音は詩情を誘った
寝よう
○ ちゃんオヤスミ
平成22年9月27日