母式部
現在、母式部は93歳である
耳が多少遠くなったが頭はシッカリしている
足腰は弱っているが、それでも杖をつきながら、玄関先ぐらいまでは、歩ける
時々道通る人が、懐かしく一人で玄関先にでて、椅子に腰掛けている
今月兄豊秀95歳が亡くなった
叔父豊秀は医学に役立てる為、生前献体をすると話していた
死亡を新聞にも載せず、葬式も挙げないで静かに逝った
長男から献体するので、内輪だけで簡単な弔いして葬式を一切しないとの電話がかかった
従兄弟全員、親戚一同了解した
最期は見事であった
叔父は戦争中軍曹であった
色々な思いが献体と云う幕引きにしたのであろう
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兄が亡くなり6人いた兄弟姉妹で残ったのは式部一人となった
式部の心の内は私でも分からない
それでも、私が朝食を持ってゆくと
「ありがとう」と手を合わせる
そして、晩、電話で、今日一日「ありがとう」と云う
そして何かと世話してくれている事務員の朝子女子にも「ありがとう」の伝言を云う
それも電話から声が洩れる程、大きくハッキリ云う
この承禎ですら、及ばない
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当然であるが介護の諸費用全て私が負担している
今のところ何とかヤリクリしている
式部は私と同じく仕事以外、殆んど遊びに行っていない
秋になったら、近くでも秋を見せたい
そんな思いで一杯の今日この頃である
毎日日記代わりのメモとお経を唱えて時間を過ごしている
最近お金の事を言わなくなった
逆にそれが心配になって来た
最大の執着から解き放たれた
新境地の世界に入った
式部は私が離婚した事に只の一言も触れた事は無い
逆に一言も触れない分、深く心配していた事が良く分かる
只一言、遠くに嫁いだ孫の事を気にして元気にしているのか
と問うた
私は音沙汰の無いのが元気な証拠・・・と一言答えた
そうか
それ以外一言も触れない
全てを察しているのである
●の性根の根っこの根っこを知っていたのである
いまでは現状の私の姿に多いに安心し喜んでいる
少し前私と母親の前で○○子が承禎と結婚したいと言ったら、誰かいい人いる見たいから、
無理やろう、と私の顔を見て言った
式部にそんな事一言も話した事ないのにの、日頃の私の表情で察知しているのであろう
何やかにやで、式部に対し、感謝で一杯である
親子である
阿吽の呼吸である
出来る限り世話をしてやりたいと思う今日この頃である
平成22年8月11日