★★★★★★★★★
「道元禅師」下巻
私は速読が出来ない
縦に文字をなぞって読む
こんな中味の濃い本は一日、頑張って100頁である
下巻は約600頁である
・ ・・・・・・・・・・・・
6日では無理である
昨日自分の一日のペースを計算するのに一生懸命読んで見たら約100頁であった
疲れた
この本を読むこと自体、禅修業である
・ ・・・・・・・・・・・・
「親鸞」とこの「道元禅師」を読んだ人は氷見市で何人いるか????
多分少ないであろう
ヘトヘトである
それにしても、著者は凄い
参った
恐らく今月一杯かかるであろう
今日は5月17日である
5月18日
私は、滅多に無いが、困難や壁にぶち当たった時、部屋の壁に向かって座禅を組む
そうそう、
★ @昔、二上山の毘沙門堂で一人「自分とは何か?」と座禅を組んで一心に己の心に問う
たことがある
季節は確か秋で三晩であった
周囲はうっそうとした森に囲まれている
荒れた晩が二・三日続いた。
夜に入ると森全体が嵐に翻弄され、闇の底から虎狼が吼えているような荒れた夜が続いた。
鬱蒼とした森の御堂で、闇に溶け込むのである
しかも、御堂の中は心もとない裸電球一つである
当時は真剣であった
今、するかと問われたら怖くて行けない
ホント
当時、私なりの一つの答えを出して、毘沙門堂を後にした
振り返って考えると、浅い答えであった
それでも、当時の私には真剣かつ貴重な体験であった
★ そのA昔、氷見市のゴミ収集の民間下請けに大兄辰と一緒に参入しようとした。
その時、ゴミ収集とは何かと、大兄辰に宿題をだされた時、家の中で一人座禅を組んだ
その時、自分なりに一つの 答えを出した
大兄辰は、私の出したその答えに、手を叩いて喜んだ
夜三時間程座禅を組んで出した私なりの答えは「ゴミ収集=努力」であった
答えの「努力」まで精神統一しながら悪い頭で真剣に思案した
★ B「寶」の解明時、『大漢和辞典』を全て閉じて著者、諸橋先生が、大著を完成した時、
最期に何を感じたのか???!漢字とは何か!!!!?それが分からなければ、「寶」解明
は無理と思い至ったのである!!!その答えを求めるため、一人『大漢和辞典』を前にし
て座禅を組んだ
あの漢字の大宇宙は何なのか???!
諸橋先生は、『大漢和』を編纂して、最期何を得たのか????!
虚空を見つめ一心に座禅を組んだ!!!!
・・・・・・分かったのである!!!!!!!!
私は真夜中、一人躍り上がって叫んだ
分かったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!と!
そして、外へ出て湊川の川渕を歩いた
星が冴える満天の星空であった
今もその時のことを鮮明に覚えている
そして「寶」解明は、怒涛の勢いを得た
★ Cそうそう則天武后との壮絶な戦いの時も座禅を組んだ
心の沈静が必要であった
★ D●と決別し、家業を続けるかどうか?!一晩、座禅を組んだ
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・!
そして、半眼の闇から、決然と立ち上がった
ヤル!!!!と
!!!!!!!!!!!!
★ E●と離婚必然○○と、いやおう無く別れなければならない事態に陥った
血の涙である・・・心の納得と平安に座禅を組んだ・・・・・・
断腸である、深い深い闇の底を見つめ、決別の確認であった
自分自身に断腸を言い聞かせた
・・・・・・
・・・・・・・
私の場合、人生の岐路、困難、壁にぶつかった時に夜一人、座禅を組むのである
そうそう、その座禅で二度、目から鱗が落ちた経験がある
読者はあるかな?
私はコンタクトをしたことは無いが、まさに両目からコンタクトレンズがポロリと、こぼ
れ落ちたような感触で、垂れ込めた雲がサット消えた感触であった
どれも大きな試練であった
その試練の一つ一つが、脳裏をカスメル
・・・・・・・・・・・・・・
現在、219頁、・・・・喘ぎながら、この本を読み進んでいる
★ そうそう西田の国泰寺へ参禅した時の当時の私なりの一つの辿りついた心の帰結を記
しておう
禅宗で一年で一番の荒行の時であった
大寒、二月の「接心」の時期である
一週間、禅三昧・・・いや悲鳴をあげて座禅した
朝三時に起きて雪の国泰寺に向かう
寺の前で雪の中に頭を突っ込み、その雪の中で大声でヤルゾーと叫び、御堂に足を入れる
畳の上を五歩あるいたら、既に足には感覚が無くなる
そして30分の読経
そして禅堂に入る
その座禅の虚無の空間で一心に推考したこと
!!!!!!!!!!!!!!!!!
俺では無理
・ ・・・・・・・・・・・・
家族があり、欲望と煩悩の塊の男である
家族と煩悩を捨てることは、到底無理
第一家族に対し責任がある
・ ・・・・・・!!!!!!!!!
禅修業の大切さ、尊さもホンの少し分かった
しかし、無理
・ ・・・・・・・・・・
そう!!!!!日本中の人が雲水になったら、日本経済は崩壊する
さすれば、何千万人が死ぬ
間違いなく
!!!!!!!!!!!!!!
雲水達は我々俗世で生きる、一つの目標、規範である
清貧な理想郷でもある
・ ・・・・・・・・・・
しかし私には無理
・ ・・・・・・・・・・・・・・
そうだ!!!!!!生活の場、日々の一刻、一刻、その場その場が禅修業であろう
俺には俺の禅修業があり、雲水と別の社会の場での禅の修業があろう
それを実践して社会に貢献しょうと、自分なりに達観した
そして快楽と、いい加減の道を駆けてきた
!!!!!!!!!!!!!!!!
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人間は易きに流れる
朱に交われば何とか・・・・・・
惰性と安穏、
元の木阿弥である
それでも、なんとか赤点ラインはキープしているつもりである
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39点位か・・・・・・・・・・!!!!!
道元禅師に深い深い尊敬と敬意を払わずにはおれない
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私は国泰寺の稲葉心田禅師に大きな教を賜った
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5月21日夜中2時30分・現在280頁
★ 326頁6行目
「二度と返らない大切な人間の一生を大切にせず」は多分「帰らない」の間違いであろ
う?!
しかし著書は仏教本である!!!意図的に使われたのか分からない!!!
★339頁「正法眼蔵」「眼」とは照らす「蔵」含蔵するで、釈尊の絶対の真理を云う
★5月23日13時5分、遂に500頁
読むと自体、著者立松氏は読者に禅修業を積ませている
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平成22年5月24日7時15分!!!!完読
五月一日から勘定すると24日間である
参った
立松氏は完成に9年かかったそうである
私は調査から8年と6ケ月であった
その後の戦いに10年を費やしている
読み終えて感ずるとは、少々私の方がよりハードの感がある
それでも、立松氏に深い深い敬意を表する
世の中に私と同じクラスのアホがいると嬉しい
今一度永平寺を訪ねたいものである
長編が続いてHP原稿のストックがかなり減った
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親鸞に続いた
兎に角疲れた